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分かり合えない躁鬱人㉓

こんばんは。まなみんです。

今日も1日お疲れさまでした。

今回は分かり合えない躁鬱人第23弾!

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今回のテキストはこの記事の後半部分↓↓↓


「苦手なことはできないので、一切やらない」
「克服という概念を捨て去る。できないものができるようになる、よりもできることがもっともっとできるようになってむちゃくちゃ褒められるほうがいいです」
 そんな感じでいきましょう。苦手なことができるようになっても、褒められるどころか、当然だと思われるだけじゃないですか。
人から褒められる可能性が低いことはやらないようにしましょう。
人から褒めれらる可能性があるものに関しては努力も自然と言われなくてもしているはずです。

これは躁鬱人ではなくても言えることだと思います。文章で読むとなるほどと納得できますが、これができている人は一体どのくらいいるのでしょうか?


 心は観察することができない。では鬱状態の予感を感じるためには何を観察すればいいんでしょうか。
容易に観察できて、しかも自分の思い通りになるものが必要なんです。まず脳はどうでしょうか? 
やっぱりここと同じようにコントロールできませんよね。
それは鬱状態のあなたは知っているはずです。
自分のことをそこまで否定しなくてもいいのにと思うのに、止められないじゃないですか。
脳の動きはいくらでもコントロールできそうなのに、一切できないんですよね。考えないようにしようと思っても逆にもっと考えてしまいます。
厄介な臓器です。骨もコントロールできません、胃も大腸も小腸もコントロールできません。筋肉も無理です。神経ももちろん無理です。
僕たち人間が外部から容易に観察できる方法を思い浮かべてみましょう。
胸に聴診器をあて、心音と心拍、呼吸の音を確認してます。
つまり、心臓と肺です。この二つは観察することができます。
躁鬱人の気分はどんなに変化しても、定点観測することができます。
しかも観察できるだけでなく、心臓は横になると楽にすることができます。
呼吸は止めることも深呼吸することもできます。つまり、心臓と肺だけは、われわれが自分で処置することもできます。
ということで、自分の体、体質を推し量る最適な方法は、心臓と肺を観察し自ら処置する、ということです。
これはとっても大事なことだから頭に入れておいてくださいね。
しかも、躁鬱人にたびたび起きる自信のなさとか自己否定をなんとかしなくちゃいけないと思うとどうにもできなくて疲れてしまいますが、心臓と肺に注目して優しくしよう、だったら、誰にでもできるじゃないですか。
僕は娘と息子が死ぬのが怖いという状態になったら、深呼吸の方法を教えてます。
横になって心臓を落ち着かせて、吸うのを極力減らして、ゆっくり吐く量を増やすように伝えます。
それは子供でもできます。そして一番効果があります。
心の悩みだと思われるものを治癒することが、このように心臓と肺の動きを調整することによって可能になるんです。
というか、心臓と肺でしかできません。
どれだけ頭で言葉であなたの躁鬱の体質をコントロールしようと思ってもできません。
苦手なことはしないようにしましょう。
「できることをもっとできるようにする」これが重要なことです。
心臓と肺だけがあなたを楽にすることができますから、それをもっとできるようにしましょう。

「心臓と肺」を観察し、自ら処置する

……!驚きです。そんなこと考えたことがありませんでした。でも本当に脳の動きはコントロールできそうで出来なくて、心と頭がちぐはぐになるのが躁鬱なんですよね。
だから、心臓なのかもしれません。私は症状が重いとき、よく過呼吸になります。そう考えると、その逆の深呼吸をすれば症状が良くなるのかもしれません。本当に驚きの発見です。


躁鬱人が躁状態から鬱状態に移行していくとき、「のびのび語」から「ちゃんときちんと語」に言葉が変化していきます。
まずそのことに気づいたら、プレ鬱に移行しているサインになります。
そこで体の観察をはじめましょう。
僕の経験ですが、鬱になる前には必ず「疲れてます」。
ここはすぐ見落としてしまうので気をつけましょうね。
なぜなら躁状態の時は一切疲れないと勘違いしているからです。
もちろん疲れているんですよ。ですが脳内麻薬が分泌されていますので、覚せい剤をやっている時とほとんど変わらない。
三日くらい徹夜麻雀が余裕できるわけです。
でも本当は疲れている。脳内麻薬だって麻薬は麻薬ですから、切れたら、疲れがどっと出てきます。
疲れがマックスになると、必然的に鬱に移行していきます。
「窮屈」によって躁鬱人の動きが縛られていくと、さらに無理に躁状態で動こうとしてしまい「疲れ」てしまうわけですね。
「窮屈」を解放させるためには、これまでの章でずっと書いてきましたが、次は「疲れ」に対しての対策が必要になるわけです。
そして、疲れへの唯一の、かつ一番効果のある対策が「心臓と肺の観察・処置」なわけです。
 それでは実際にどうやって観察・処置を行うのかを説明していきましょう。

ここも的確です。私は躁鬱になって(なる前もですが)毎日日記をつけています。そして一年前の日記なんかを読み返してみると、必ず鬱の前は疲れることをしているんですよね。
では、この「窮屈」と「疲れ」にどう対処したらいいのか。次に進みましょう。

 まず、仁王立ちして立ってみてください。躁鬱人は百人いたら百人、体に力が入りまくってます。
力を抜いてくださいと言っても抜くことができませんので、ここはイチローの打席に立った時のリラックス法を活用してみましょう。
肩の力ではなく、膝をガクッと折って、膝の力を抜いてみてください。
がくんと体が沈んで肩の力まで抜けていくのが実感できると思います。
力抜いたら楽になったでしょ? 
それくらいぐっと力を入れて躁鬱人は生きてます。
ただ生きているだけで疲れてます。実は。だからこそ脳内麻薬が頻繁に分泌されているわけですね。
もちろんこれは全部僕の予測ですよ。間違っても医学的証拠はありません。そんなことどうでもいいんです。
そんなこと言ったら、躁鬱病ってものが何かという医学的証拠だってないんですから。
とにかく心臓と肺を観察するしかわれわれにはできないんです。
力を抜いた瞬間、心臓と肺、胸のあたりが、楽になるのが確認できますかね? 
これは何度かやればわかると思う、もしくはちょっと意識すればすぐにわかるはずです。
心臓と肺辺りに意識を集中して、また膝の力を抜いてみてください。どうですか? 
わかりましたか? 
つまり、力を抜くと、まず心臓と肺は喜ぶってことです。それでもまだ力が入ってます。どうしてかというと、それは立っているからです。躁鬱人は常に立って動きたがります。
躁状態では寝ていることは退屈な一番忌避すべきことになります。
興奮して眠れませんし、眠りたくないんです。そのため一日のほぼ全てを立って過ごします。
ここで筋肉がどうやって動くかを考えると、血管を通して、肺が取り込んだ酸素を心臓から送り込んだ血液に載せて運搬していくからです。
立っていると、ずっと体の筋肉は休めません。心臓と肺ももちろん休めません。
24時間オープンのコンビニになってます。鬱状態とはそんな眠らない都市に侵入してきて都市の機能を眠らせるウイルスのような役目を果たしてます。
では、自粛要請を出してみますね。自粛要請って言葉はおかしいんですが、われわれは自粛要請を自らの体には出すことができます。どうすればいいか? 
これも簡単です。ただ横になればいいんです。そうすることで、足の先まで必死の血液を送り、さらに戻って来させる必要がありません。
横になれば高さが同じになりますので、重力に逆らって血液を送り込むという作業がなくなり、心臓の負担が格段に減るんですね。
ということで、次に横になってみましょう。そして、あなたの得意な感受性でもって、どう変化したかを感じ取ってみてください。躁鬱人はイメージするのが得意です。
必死に東京タワーの上から下まで荷物を階段で上り下りしながら運んでいた労働者のイメージ、それが横になると、大きな平屋の家になるわけです。
荷物を運ぶのが楽なのはどっちかってすぐわかるでしょ。
横になるとき、そのイメージをしていてください。より際立って心臓と肺の楽になるっぷりが感じられます。
心臓が温泉に浸かった時みたいに「プハー」とか言いながら、力を抜いて楽になるのがわかります。
さて、あなたもやってみて、体験してみてください。
躁鬱人は体験こそ命ですので、体験が好きですし、こうやってまた一つ知らないことを知ると、それだけで鬱が楽になります。
知らなかったことを知るだけで治療になっているんですね。どうですか? 
なんで今まで立っていたんだと思うくらい楽になりませんでしたか? 
これが観察と処置の重要な例です。
今、あなたは楽になってます。楽になった理由は横になったからです。
横になると、心臓と肺が楽になります。もちろん膝の力を抜くでも、楽になりましたよね。
躁鬱人たちは幼い頃によく、わざとこけてみんなをびっくりさせたりしてまうが、あれも膝の力を抜く、そして横になる、という行為を自然とやっているわけです。
自然治癒力を自ら試そうとしていたわけです。これが躁鬱人の神秘です。
久々に思い出して、ふざけてこけて床に伏せてみましょう。

実際にやってみましたか?よく「休みなさい」って言われる人居ると思うのですが、「休み方が分からない」という人ばかりだと思うんですよね。
それは「横になる」こと。心臓を、血液をフラットな状態にすることなのかなと私は思いました。シンプルですが、それを分からないフリをしているのだと感じます。鬱のときにベッドから動けないのもこの治癒力を身体が分かっているから無理やり寝かせているのかもしれません。(ただ、「死にたい」とか思わせてくるのは本当にやめて欲しいですが)

力を入れて立ったときと横になった時とでどれくらい楽になったのかを観察してみてください。どうですか? 
そしてこう聞いてください。
「ねえねえあなたは今、立っていたい? 横になっていたい?」
 もしもまだ立っていたい、という答えの人は躁状態が続いていることを表してます。
脳内麻薬も出てますし、寝ていても落ち着かないでしょうから、どうぞ外に出て好きに暴れてきてください。
どうせ止めても止まりません。好きにやるしかできないのです。どうぞ好きにやってください。でもその代わり時々ふざけてこけてください。
 しかし、あなたがもっと横になっていたい、と答えたならば、あなたは疲れている可能性があります。
たとえ気分はまだ悪くはなくても、疲れてます。
これがとても大事なポイントで、疲れに前もって気づいてあげて適切な処置をすれば、鬱になる前に平穏になれます。
しかも鬱であっても、力を抜くと、力が入っている状態よりも、楽になります。
 寝ながら、さらに力を抜く方法があります。今は仰向けに寝てますよね? 
そのまま両手、両足を広げてみてください。
その時にどう変化するかイメージしてみてください。
そうすると、どういう体勢が一番楽かがわかります。
僕は両手両足を思い切り、広げていた方が楽です。
しかし、これは人によって違うようです。
人によって当然ですが心臓と肺は違いますから、あなたの心臓と肺が一番楽な横になった姿勢を見つけてみてください。
僕の場合は仰向けよりもうつ伏せの方が楽になるときもあります。
仰向けでも、腰の下にタオルを丸めた棒を入れて、腰だけ少し高くした方が楽な場合もあります。
そうやって、自分なりにアレンジしてみて、自分なりの最高の横になった姿勢を見つけてみてください。
そして、常にやる前とやった後の気持ちの変化、心臓の負担具合の変化、まあ楽になったかどうかを、確認してみてください。このビフォーアフターを常に観察するということが、そのまま治療になります。
これも「新しく何かを知る」という躁鬱人の好物だからです。
どうですか、なんだか楽しくないですか? 
こんなに簡単に自分の医者になれるんだと知ると嬉しくないですか? 
はっきりと言います。実は躁鬱人とは実は「医」の人なのです。
今、あなたは自分を治すという行為を通じて、みんなを治す医人になろうとしている講習会に参加しているようなものなんです。
それもまたイメージしてみてください。
あなたは医者なんですなんて言われたら、躁鬱人は嬉しくなってしまいます。
嬉しくなるのを僕は知っているからこう言っているだけです。
つまり、嬉しくさせることで治そうとしているのです。
面白いでしょ。もしも面白いと思ったのであれば、それだけで鬱が楽になっているはずです。
そのことも観察してみてください。今日はこれくらいにしておきましょう。
次回は医人となった僕が、心臓と肺を楽にする様々な処置について伝えたいと思います。
それではみなさんお疲れ様でした。
今日も楽しく楽な一日を過ごせますように。また明日。

私は横向きになって、腕を曲げて手を重ね合わせる姿勢が好きでした。
最近、眠くてずっと横になっていたい、と思うことが多くなっています。これはプレ鬱ということなのでしょうね。気を付けます。
医人。またワクワクする言葉を持ってきて下さいました。私が私自身の一番の医者であり、こうやって「書くこと」で誰かの医者になっている、そう思うと嬉しくてたまりません。

いかがでしょうか。今回は鬱のときの対処法が少し分かってきた気がします。
次回も楽しみですね。私はこれを書いて横になるとします。お疲れ様でした。






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