見出し画像

分かり合えない躁鬱人⑲

こんばんは。まなみんです。

今回は分かり合えない躁鬱人シリーズ第19弾!


マガジンはこちら↓↓↓


テキストはこちらの後半部分↓↓↓





躁鬱人がよく自分とは何か?と考えるのはなぜか。
それはズバリ退屈だからです。
充実している時は平穏です。
心地いいと感じてます。
その時には一切自分とは何か?と考えません。
平穏な時に考えていることは唯一「次に何をしようか?」ということだけです。
ゆっくり空いた時間を利用して、何も考えずにしばらくぼーっとする、なんてことができません。
ぼーっとしてみたいと思うかもしれませんが、それは無理です。
ですが「次はぼーっとしてみよう」と決めると、ぼーっとした感じを出すことはできます。
それでもぼーっとしていると「あ、これをしてみよう」とどうせ思いついてしまいます。
そして、ぼーっとするのはせいぜい5分か10分で、すぐに次の何かに取り掛かります。
あなたの横で1日、鬱でもないのに、今日は眠ってたいからずーっと布団でぼーっとしている人がいると思いますが、どうか憧れたりしないでください。
ついつい「そんなにぼーっとしていてはいけないよ、貴重な時間があるんだから、あれもこれもやらなきゃ」なんてことを口にしそうになりますが、ここはひとつ黙ってあげてください。
怒らないこと。カンダバシは「生活を万華鏡のようにしてください」とありがたいことを言ってくれてます。
われわれ躁鬱人は、布団からすぐに出て、充実の世界へどんどん向かっていきましょう。
そして「自分とは何か?」と考え出した時にはちゃんと自分にツッコミましょう。

た、退屈・・・。

私今、というか最近とっても退屈かも…。

ここは坂口さんと少し違う意見かもしれないです。

私は何もしないことをするのが好きです。

やることはたくさんあっても、ぼーっとするんですよね。

ひどいときは友達と喋っているときにもぼーっとしちゃいます。(これはなおさないとですね💦)

そして退屈が心地いいです。何もすることがない!最高!


きっと、頑張りすぎてたんだと思います。

私の場合は充実が行き過ぎていた。つまり躁のパワーを使うしか無かった。だから鬱になったのだと思っています。


「自分とは何か?」
 その答えは、
「自分とは『次は何をしたい?』としか考えない人ですよ!」です。
 これまでやってきたことを踏まえ、さらに技術を高めていこう、なんてことは考えません。
努力には一切興味がありません。
やりたいことしかできませんし、やりたくないことをすればすぐに窮屈になって、退屈して、嫌になります。
そのまま行動を続けると、必ず鬱になります。
本当にただ素直に「次は何をしたい?」としか考えないのです。
そして、それでいいんです。せっかくですので「自分とは何か?」という一度鬱を経験してから発生したこの言葉を今日限りで捨てちゃいましょう。
われわれ躁鬱人は「自分とは何か?」というような、つまり、内省ってことですね、自分を省みる、この行動が一切できません。
というよりも、そんなことをする必要がないんです。
それは内省、反省をして、次の行動に繋げる、という方法論を取っている非躁鬱人たちに全部預けちゃいましょう。
われわれには一切意味がありません。
どんなに内省をしたところで、そのように自分を表す言葉を持ってませんから、なぜならそれは全て感覚でしか感受してませんので、気持ちいい! 
生理的に無理〜、とかそんな風にしか表せません。
頭を抱えて考えるなんてことになんの有益なことがないんです。
悲しいことですか? 
僕はそう思いません。ラッキー!と思った方が楽だし、なんか面白くないですか?
 内省、反省が必要ないんですよ? 
しかももし仮に内省、反省をしたとしても、内省をするときは鬱状態である証でもあるんですが、どれだけやっても元気になった途端、それまで省みたことを全てちゃぶ台返ししてしまうんです。

はい。内省、やっちゃいますよね。特に鬱のとき。

初めての鬱のときなんか酷いものでした。

生まれてきたことそれすら否定してしまって。


しかし本当に躁鬱人には内省なんか必要ないというか、意味がないですよね。

鬱のときした内省なんて躁になれば全部飛んで行っちゃうし。

何回このサイクルを回せばいいんでしょうか。


だからいっそのこと内省をやめちゃえばいいんですね。

と、考えると少しは楽になるのかな。


「私はなんでいつもこんなことあんなことをしてしまうんだろう、どうしてこのような私になってしまったのだろう、原因があるのだろうか、そして、良い解決法があるのだろうか」
 なんてことを鬱のあなたは懲りずに何度も何度も繰り返そうとするのですが、元気になると、
「ヤッホー! またあれもこれもやってみたい、そしてその次にはこれをやって、そしてあれでしょ、あ、もうひとつおまけにあれこれそれもやっちゃおう!」
 となります。
内省、反省が一切活かされないんですね。
もうここは笑うしかありません。
そんなわけで躁鬱人は「反省禁止」です。
反省禁止の人生を送るわけですから、この反省大好きな社会において、反社会人ということになります。
その自覚はしておきましょう。
大事なことは非躁鬱人の前で「俺は反省を禁止しているから反省をしない」と公言しなければいいだけです。
黙っておけばいいんです。僕は、こうやって書いてますが、あなたは言わなければいいんです。
でも反省禁止を実践する。
これは鬱がひどくなっている時に反省を強くしてしまうと自殺しかねないからです。
自殺防止のための反省禁止です。
躁鬱人にとっては命綱なわけです。
でも社会的に見たら、不届き者です。そこらへんはうまく二重生活をお送りください。

この部分テストに出ます!!(テストなんてしませんけど)


さっき書いたことと似てますね。

いっそのこと躁鬱人は内省をやめちゃえばいいんです。

躁鬱大学に通う前は本当に鬱で死にたくて仕方なかったのですが、自分で自分の首を絞めていた訳です。

他人からしたらどうでもいいことばかり掘り起こして勝手に自己嫌悪して「死んだほうがマシ」なんて考えて、

親も友達もどうでもよくなってしまうんですよね。

しかし、そのときそのまま死んでたらそれこそ死の無駄遣いですから。

その根っこにある内省は本当に要らないです。


難しいけれど鬱のときにどうかこの部分を思い出して欲しいです。


ついつい内省、反省について、書きたくなって書いてますが、そうです、今日こそ時間割について書きたいんです。
われわれは躁鬱人であり、また別の名を日課族とも言います。
海の波が満ちて引き、そしてそれが毎日だいたい同じように繰り返すことを思い浮かべればイメージがしやすいと思います。
つまり、躁鬱人という言葉だけではわれわれを表すには完全ではなく、日課族というもう一つの顔を自覚してこそ、一匹の生き物として楽しく愉快に自立することができます。
日課族にとっての栄養は充実です。
退屈は日課族にとっての死を意味します。
僕たちは退屈したら本当に死にます。
僕が小学五年生だった時は、つまり躁鬱人として、さらには日課族としても安定していたわけです。
だからこそ破綻しなかった。
というわけで、僕の日課を作っていくことにしましょう。
まず考えるのは、いや、われわれにもう「考える」ことは必要ないですよね。
そうではなくただ「聞いて」ください。
もちろん「何がしたい?」と。
それではやってみます。
自分で聞いて自分で答えるんです。
これはとても大事な技術ですので、練習の意味で皆さんもやってみてくださいね。
ではいきますよ。

はい、お願いします


「充実したい?」
「うん」
「じゃあまず何時に起きたい?」
「小五の時は朝6時に起きて、超気持ちよかったから、6時でいいんだけど、朝の時間がむちゃくちゃ好きだからもっと早く起きたい」
「じゃあ朝の3時にする?」
「それだと早すぎるから嫌だ」
「じゃあ4時でいいかな?」
「いい感じ」
「じゃあ4時起きにしよう。そうすると、躁鬱人日課族は睡眠時間が7時間と決まっているから必然的に夜9時に寝ることになるけど違和感ないかな?」
「うん、むしろ夜10時以降からはなんか自分とは何か?って考えちゃうから消したいくらいで、夜本当に嫌いだから嬉しい」
「じゃ、夜9時に寝る日課にしよう」
「はい」
「朝4時に起きて何がしたい?」
「もちろん一番したいことがしたいから、一番したいことは小五の時は漫画を描くことで、今は本を書くことだから、本を書きたい」
「一日何枚書きたい?」
「10枚書いたら、充実感感じるから、もちろん10枚で」
「それは無理ないかな? 毎日できるかな」
「必死にやれば毎日20枚書けるけど、多分無理なんで、その半分ということで10枚」
「それじゃ大丈夫ですね。小五の時は朝8時から昼12時まで午前中授業だったので、その時を執筆に当てることにしましょう。だから朝4時から朝8時まで本を書く。ご飯をその時食べたい?」
「全然食べたくない。書く前は食べたくない。書いた後に食べたくなるから食べたい」
「じゃあ休憩がてら朝8時から朝9時まで朝ごはんの時間にします。次は何をしたい?」
「書いたら満足するから、授業と授業の休みみたいな、休み時間が欲しい」
「じゃあ、朝ごはんを食べたら、9時半まで30分休み時間取りましょう。次は何がしたい?」
「編み物が好きだからセーター編みたい」
「どれくらい編みたい?」
「1時間じゃ少ないから1時間半編みたい」
「じゃあ11時までセーター編んでみて。次は何がしたい?」
「休み時間!」
「じゃあまた30分休みましょう。11時半まで。次は何がしたい?」
「順番はちょっと変わるけど昼休みの後の掃除みたいに、部屋の掃除と洗い物したい。そうやって、空いた時間にチャチャっと掃除をすると決めておくと、部屋も綺麗で心地いいし、すでに書いているから充実感あるけど、それを増幅することができるから嬉しい」
「じゃあ、30分掃除と洗い物で。次は何がしたい?」
「お昼ご飯を自分で作って食べたい。料理も写真撮って、新作の作品作るみたいに記録を取りたい」
「いいですね。じゃあ12時から1時までお昼ご飯タイムで。次は何がしたい?」
「昼休みが欲しい。長めに欲しい」
「ドッヂボール?」
「いや、女の人と話す時間が欲しい」
「仲が良い女の人がいるかな?」
「近くに橙書店といういつも原稿を読んでくれる久子さんという女性がいるから、その人と長めに会って話したい。できるだけ毎日」
「じゃあ午後1時から3時までは橙書店に行って、久子さんと話すってことにしましょう。次は何がしたい?」
「午後の授業みたいな感じで、別の仕事がしたい。僕は絵を描くのも仕事にしてるから、アトリエで絵を描きたい。陶芸もしたいから電動ろくろも買ったので、陶芸もしたい」
「じゃあ午後の授業ということで、午後3時から4時半まで絵を描いて、その後、部活ということで、午後4時半から午後6時まで陶芸部に入った感じでろくろ回すのはどうかな?」
「最高! 充実してる」
「それで次は何がしたい?」
「もう多分そこで満足してるからあとの時間は小五の時と全く同じ過ごし方がいい」
「じゃあ午後6時に家に帰って、午後7時くらいまでなんか適当に遊んで午後7時から夜ご飯を食べて、午後8時にお風呂に入って、小五の時より早いけど夜9時に寝るってことでいいですか?」
「最高!」
「じゃこれで行きましょう。どれか一つでも違和感あったら変更しますが」
「違和感がない。やりたいことだけやれてる。嬉しい」
「よかったね」

みなさんも聞いてみました?


ということで、僕はこんな日課になりました。

坂口恭平の日課

 AM4:00 起床 すぐ本を書き始める(4000字)
 AM8:00 朝ごはん
 AM9:00 休み時間
 AM9:30 セーターを編む
 AM11:00 休み時間
 AM11:30 掃除、洗い物
 AM12:00 昼ごはん
 PM1:00 昼休み 橙書店に行って久子さんと話す
 PM3:00 アトリエへ 絵を描く
 PM4:30 陶芸
 PM6:00 帰宅 自由時間
 PM7:00 夜ごはん
 PM8:00 風呂
 PM9:00 就寝


 さて、あなたも自分で自分に「自分とは何か?」なんてことは一切聞かずに「次何がしたい?」と聞いてみながら、実際にそれぞれの日課を書き出してみましょう。
それが終わったら、次に進みます。
というわけで、今日のお話を終わりますが、日課を作ることを宿題とします。それではみなさんお疲れ様でした。
ゆっくり休んでくださいね。

今回は本当にワクワクする回でした。

私も明日は早起きします!




私は双極性障害を研究したいと考えています。



だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。


たくさんの人と気軽にお話ししたい。

サークルでは今のところ、お悩み相談室のような感じになっています。

辛い気持ちとかをシェアして、それに対して温かいアドバイスが届く。

本当に温かい方たちが集まっていて、いつもほんわかとした空気があるように思っています。いつもありがとうございます。


質問などあればコメント下さい。

サークルでやりたいことも募集中です。

よろしくお願いいたします。










サポート嬉しいです😭 💙Twitter(主にコーヒー) >>>https://twitter.com/manamincoffee 🎀Instagram(主にカフェ) >>>https://www.instagram.com/manaminmushi0229/?hl=ja