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分かり合えない躁鬱人⑫

こんばんは。まなみんです。

今回は分かり合えない躁鬱人シリーズ第12弾!

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躁鬱人はただ技術を高めていけば、安定した不安定生活が送れるわけではないです。
なんせ少数民族ですから。
まずは技術を高めるための環境づくり、土づくりこそが必要なのです。
そして、それがあなたが窮屈を感じないための一番の近道となります。
「急がば回れ」という諺がありますが、あれも非躁鬱人の、石橋を叩いて渡る式人生の方法論です。
躁鬱人はそうではなく「急がば近道を自分で見つけ出せ」です。
そっちの方が心地いいんです。

「急がば近道を自分で見つけ出せ」か。

本当に、自分で見つけないといけない気が私もします。


ということでどうするか。
それが「吐露」するってことです。
「怒り」を発奮するのではなく、自分が感じていること、自分がやっていきたいこと、そして飽きてしまったこと、やりたくないことを「吐露」してみましょう。
「吐露」がうまくいけば、言えなくて悶々としてたまりにたまって怒りに転化して突然発奮するなんてことが減っていきます。
うまく吐露できるようになると、怒りがなくなります。
今日の講義の最後として、この「吐露の術」についてお話しすることにしましょう。

吐露か。私も鬱のどん底のとき、たくさんの人に話を聞いてもらいました。

すると、どれだけ辛くて憎くて苦しいことでもそれだけで楽になるんです。

本当に、被害妄想も混じった私の極端な話を聞いて下さった方には感謝です。


怒りを発奮するときは、いつも、外側に向かってます。
何か問題があって、その問題が許せなくなって、文句を言う、言い返す、正そうとしてしまいます。
その裏には、話の中心になりたい、と言う躁鬱の自己中心的な特徴が隠されていることは前にも話しました。
かつ、躁鬱人特有の正義感もあると思います。
でもその正義感は、世の中を正そうとする純粋な気持ちというよりも、世の中を正そうとする自分ってすごい、と感じたいという愛らしく子供っぽい躁鬱人の純真な自己中心的精神が反映されているのではないかと思います。

わ、図星です。私は本来ならとてもすごい人なのになんで指図されないといけないんだ。こっちのほうが正しいのにどうして否定するんだ。

なんて、冷静になれば私にも考え直さなければならないことがあるのに全て環境や他人のせいにして暴れていました。


とにかく躁鬱人の心の動きは変幻自在で、これと固定されたものがありません、織物みたいに、しかも独自の方法で織り上げた織物みたいに、いろんな要因が混ざってます。
それでもまず何より躁鬱人が怒りを発奮するときは、窮屈になってしまっていて、それをどうにかうっちゃりたい、つまり、どうにか鬱にならないようにしたいという自己治癒も潜んでいるように僕は感じてます。

そうなのかもな。

怒りが湧くのは窮屈になったときで、自分がそれから解放されたいときで、非躁鬱人には申し訳ないけれど自分のその都合で暴れてしまう気がします。

と、同時に、これ以上溜め込むともう自分を保てない!というサインなのかもしれません。


やはり、あらゆる行動の前に、窮屈を感じる、ということがあるんですね。それでカンダバシも言うように「自分が我慢してしまう」わけです。
そしてこの我慢が本当に躁鬱人は苦手です。
石橋を叩いて渡れません、急がば回れなんてことは一切考えられないんです。
ですから突然行動すると、短絡的だ、飽き性だ、先のことを何も考えずに衝動的に行動するだ、なんだ言われてしまいます。
非躁鬱人はさすが、後の結果を予想して行動しますから、本当に躁鬱人のことが理解できないわけです。

うんうん、その通りです。

今までずっと、飽きやすくて何事も続けるのが苦手で、中途半端な性格なのだと思って生きてきました。

けれどそれが、躁鬱人の性質なのだと感じることが出来ました。


しかし、躁鬱人は結果が見えていないわけではありません。
その逆で、映像的にバッチリ見えていることが多いです。
だからこそ、行動ができるわけです。
しかし、窮屈な環境では直感は生き生きとは動いてくれません。
少しでもブレてしまうと、直感が見た映像通りには事がうまく運んではくれません。
それで失敗をしてしまうというわけです。

そうなんです。わたしの直感はよく働きます。

でも、窮屈になってそれが鈍ると失敗に繋がって、焦ってまた更にミスをするという悪循環に陥ってしまいます。


そのために窮屈を感じない環境がまず大事になってくるわけですが、環境には地面が必要です。
土ですね。もちろん実際の土ではありませんよ。
周囲の無理解が作り出した土壌の上でどれだけ行動しても躁鬱人は持ち前の天性の能力を発揮することはできません。
周囲に理解してもらう必要があります。
だからといって、人にあれこれ指図してしまうと、躁鬱人の攻撃的なところが顔を出してしまいます。

無意識のうちにこれはしていたかな。

周囲の理解、得られるのはほぼ不可能です。それでも地面を固めることは大事で、できることと苦手なこと、そのときの体調を非躁鬱人に逐一報告して、私が動きやすいようにしてもらうのがとても楽です。


躁鬱人は人に注意していいことが何一つありません。
躁鬱人の目は確かですが、その見方は、いくつか先をさっと映像的に見るみたいな感覚に近いですので、それを非躁鬱人に伝えても、突飛なアイデア、唐突にしか聞こえなかったりします。
そのためお互い理解できなくなって、言い合いになることもしばしばあります。
それでも人の観察に大変優れている特徴をもっていますので、ついつい言いたくなる。
しかし、ここは一つ決めておきましょう。「人の注意はしない」と。

おっと、これは危ない。

やはり、私の直感なんかは非躁鬱人には理解し難いんだろうな。いつも話していて渋い顔をされますから。

幸い、人にそんなにツッコむことはないのですが、言わなくてもいいことまで言ってしまい、後悔することが多いです。


私は双極性障害を研究したいと考えています。

だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。



今現在、加入者が6人です。少しづつ人数が増えています。ありがとうございます。

しかし、さらにたくさんの人と気軽にお話ししたい。


本当は無料で招待したいところですが、お金を払って下さる方と平等にしたいので申し訳ありませんが100円お支払い下さい。


質問などあればコメント下さい。

サークルでやりたいことも募集中です。

よろしくお願いいたします。









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