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2023.9 / あのときの長時間労働の結末

まだ仕事や社会について何も知らないひよっこ社会人だったときに、部下に長時間労働を強いていたあの人。
仕事と育児をどっちも100%やって、がむしゃらに働いていたあの人。
あの人たちはその後どうなったのだろうか。


私は社会人九年目の代になったが、ふと新人のときを振り返ってこんなことを疑問に思うことがある。
私自身は、結局ここまで長時間労働の「美談」を一つも持っていない。
会社員だった頃はどの仕事も朝十時始業で、大体夜七時まで、その後も働いていた日もあるけど、誰かに強いられて働いていたことはなく、自分の中の区切りが良くなるまで働いていた。
夜十時までハイになってコードを書いていたことはあったけれど、深夜を超えたことはないし、それが何日も続いて常態化することはなかった。


理由の一つは、キャリアの始めで一緒に働いていた先輩がとても優秀で、「長時間労働を前提にプロジェクトを組むのは、プロジェクトマネージャーの失敗だ」と明確に言い切って実践していたからだった。
その先輩は、お客さんとの会話をよく覚えているので話を握れるし、調べないと分からないところはそう伝えて持ち帰るし、時間がかかる作業を依頼されたときはどのくらいで終わるかを予測して締め切りを引き伸ばす交渉をしていた。
これらはすべて、確実にお客さんの期待に応えることにつながっていて、お客さんからの信頼も厚かった。

仕事も所詮人間が決めた内容と締め切り。
人間と交渉することさえできれば、その日までに終わらないと死ぬ仕事なんてないのだなと知った。


もう一つの理由は、自分が構造的に長時間労働ができなかったことだ。
自分は高校一年生のときにバレーボール部に入っていて、週五〜六回は練習や試合に出るので予定が埋まっていた。
それだけでも忙しい高校生のスケジュールなのだけど、加えて英語の宿題との両立をしたら睡眠時間がなくなってしまった。
出身校の英語の授業は受験勉強ではなく、アメリカの大学のカリキュラムをベースに組まれていて、アメリカの大学生と似た量と質の英語の宿題をこなそうとすると、友達とSkypeでああでもないこうでもないという話し合いをするのが毎晩夜中三時まで続いた。

昼は運動、夜はSkypeと睡眠時間が削られると、同じ部活の友達も私も昼の授業や部活に出るのが難しくなった。
放課後の河原で、どうしても部活の練習に出るエネルギーが沸き起こらなくなってしまい、友達に迷惑をかけている自分を責めたりした。
エネルギーを失う淵寸前まで体感したが、半年ほど部活を休むことで、ギリギリなところで健康な生活に戻ってくることができた。

一度淵を経験すると、自分の限界はどこか、どんな状態が一番生産性が高いのかがよく分かってくる。
仕事は勉強と違って時間も報酬も限られているので、成果物のイメージを合わせ、作業を洗い出し、作業にどのくらいの時間がかかるかを予測する。
大切な目標に合わせて優先順位が高い順番に作業をしていくことで、自分の体力と仕事量との均衡点が見つけられるようになってくる。


ワークライフバランス社の睡眠と生産性の関連性より


そんな経験があったので、キャリアの序盤で同期や友達が仕事で追い詰められ、メンタルを壊してしまうことにもどかしさがあった。
仕事においては、自分の先輩は計画を立てて遂行することに理解があったが、すぐ隣の部署では「とにかくお客様のために全力で働け」という根性論マッチョイズムが横行していた。

どんな部下にも長時間労働を強いて、仕事ができないと罵倒し、数々の新人のメンタルをなぎ倒していたマネージャー。
夫と同じ職業に就いているにも関わらず、夫から「君が好きで働いているのだから、できないんだったらやめれば」と家事と仕事どちらも120%でやっていた女性の先輩。

当時この人たちは、ひよっこの自分や同期より、圧倒的にお客さんに必要な存在だと言われていた。
でも本当に、この人たちが強くてお客様の役に立っていて、メンタルを病んだ同期や友達は弱くて仕事にとって無価値だったのだろうか。
当時は社会人生活を始めたばかりで、その問いに対しての答えは何も持っていなかった。



最近ひょんなことから、九年前の答え合わせの時間がやってきた。
当時隣の部署で働いていた先輩と久しぶりに話す機会があったのだ。
あまりに当時の思い出が強烈だったことから、その職場を離れてから発していなかった隣の部署の人たちの名前がすらすら出てきた。
あの人たち、その後どうなったんでしょうかね〜と。


どちらもその会社には残っていなかった。
長時間労働を強いていたマネージャーはご家族の体調不良で同じ長時間働けなくなってしまったらしい。
夫がまったく協力的ではなかった女性社員は、家庭が崩壊したそうだ。
当時の勢いもすごかったが、その結末もあまりに凄まじくて聞いているだけで目眩がした。

社会人経験がないなりに、若いときになんとなく持っていた違和感は間違っていなかった。
どんな上司や先輩も人間で、肉体的・身体的限界はやってくるのだと。
すべてを両立できる人などいなくて、極端に一つのことに時間を捧げると、別の側面はおざなりになり、いずれ破綻する。
その人は、そしてその人たちを見ていて従っていた人たちは、この結果についてどんなことを思うのだろう。


日本には長時間労働のモデルだけがあまりにも多い。
本やSNSを開けば、どうしたら効率的に、どうしたら仕事で人に求められるように生きることができるかというマッチョ論ばかり語られている。
でも人間は仕事だけでできているわけではない。
誰かの大切な家族であり、友人であり、権利を持った一個人だ。
少し日本から出るだけでも価値観は違い、オランダのように夕方五時に終わって家族と夕食を食べ、夏休みは三週間キャンプに行くことが慣習になっている場所もある。

今日あなたがなんとなく、選択肢がないと思ってしたその長時間労働。
それはあなたの人生を健やかに、豊かにする時間の使い方でしたか。
その長時間労働は自分のために、または価値創造のためにやっていますか。
それとも周りからどう見られるかが気になるからやっていますか。
あなたの長時間労働を見た周りの同僚や後輩にポジティブな影響を与えることはできていますか。


本当は長時間労働に流される方が簡単で、自分が必要なことに時間を割くことや周りにもその自主性を認めることの方が、ずっとずっと難しいのかもしれない。

すべての人が組織や社会の中で自分らしく生きられるようにワークショップのファシリテーションやライフコーチングを提供しています。主体性・探究・Deeper Learningなどの研究も行います。サポートしていただいたお金は活動費や研究費に使わせていただきます。