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“誰かを崇拝しずぎると、ほんとうの自由は得られないんだよ”


“誰かを崇拝しずぎると、            ほんとうの自由は得られないんだよ”

ーースナフキン


雑誌を見ていたら、この言葉が目にとまった。
きっと今の自分とどこか重なる部分を感じたから。

私は少し前まで、尊敬する・好きな人に対して  自分とはほど遠い、どこか違う存在のように感じていたからいつも、いつの間にか自分から距離を置いてしまうことが多かった。

すごいなと思うあまり、その人と関わっているうちに、自分に何もないような気がしてきてどんどん自分を小さくしてしまう。会うたびに勝手に相手に圧倒されてしまい、自分のことを知られるのが怖くなる。

実際はその人のことをよく知っている訳でも何でもない。今思うと、その人のことを知る前から、自分から距離を開いてしまっていたんだから、すごく もったいないことをしていたなと思う。

もしかしたら一緒に楽しい時を過ごすことができたかもしれないし、何か新しいご縁やチャンスが生まれたかもしれないのだから。

それを分かっていても、その気持ちや行動がなくなるわけでもなく今までそのことで何度も後悔した。

「あー、あの時本当はもっと話したかったのに、
もし行動していたらどうなっていたのだろう」と。

そんな自分の思い込みが邪魔をして
後悔してしまう人や場面は意外と多いような気がする。

歳を重ねるうちに、自分を知ったり、色んな方と接する機会が多くなったこともあり、以前に比べて極端に引け目のようなものを感じることは少なくなっていたが、つい先日、素敵な方とお会いする機会があり、再びそれを感じてしまいそうになったことがあった。

いつもの私だったら、そこで会うこと自体をやめるか、会っても距離を置いてしまう選択をしていたと思うが、一度冷静になって考えてみれたことで回避できたことがあったので何か参考になればと思い、紹介できたらと思います!

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ある場所で出会ったその人の、雰囲気や立ち振る舞いもだし、その人が作る空間や言葉全てに惹かれていた。こんな感覚久しぶりで、そのとき私の中には、その方ともっと話してみたいと思う気持ちと、それと同じくらい自分を小さくしてしまいそうになる両方の気持ちがあった。

それでも、そのときの私は
どうしてもその方ともっとお話ししてみたい気持ちの方が大きくて

お会いする前に、いったん引け目を感じる自分は頭の片隅に置いておいて、その方の立場になって  よくよく冷静になって考えてみた。

「ご縁や出逢いを大切にしているその人は、そんなふうに距離を置かれて接されたいと思うだろうか。きっとそんな出逢いや時間は求めていないはず。」

もちろん相手や状況によっての距離感は大切だけれど、そのときは、お互い少しオープンで楽しく話せるくらいの方が心地よいなと感じた。

もしも私が誰かから見て目上と呼ばれる立場になったとしても、引け目のようなものを感じてほしくはないし、そんなふうに接してほしくない。私より年下であっても、経験が少なくても、いつだって想うことを自由に話せる関係性がいい。そうでないと、お互いに楽しくないし、知れることが限られてしまうことは、可能性だって狭めてしまうから。それはお互いにとってすごくもったいない。

そんなことを思い浮かべながら、気を取り直し、 再びその人に会った。

興味のある話をたくさん話していたら
気づいたら、話し始めてからあっという間に2時間半も経過していた。

その方から思いも寄らないエピソードや、楽しい話やこれからに繋がる言葉もたくさん頂いた。私にとっては忘れらない、とても特別な時間になった。

その後、その方をきっかけに同世代で活躍している素敵な方にも出逢えた。

気になっていた人とは、もしかしたらどこか共通することがあるのかもしれない。そしてそれは自分から近寄って話してみないと分からないな〜と感じた出来事だった。

そうして最近は、今までずっと遠くから見ていた方とお仕事する機会を頂けた。自分のアイデアを出しながら、たくさんの必要としている人にコンセプトが届けられるように、一緒に同じ方向に向かって、楽しみながら全力でがんばりたいなと感じている。

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そういえば、以前にドイツへ旅行に行ったときに、飛行機の中で素敵な老夫婦に出逢った。機内から降りるまでの待ち時間で、当時大学生の私たち二人にこんなお話をしてくれた。

「歳をとってからも、二人で色んな場所へ行って、知らないことを知るのが楽しくて家では海外からの留学生を受け入れているんだ。彼や彼女たちからは本当に色んなことを学ぶ。」と。

一緒に行った友達とその帰りに、「おばあちゃんになったらこんな人になりたいね」と同じことを思って、話したことが今でも残っていて、温かい気持ちになったのを覚えている。

年齢にとらわれず、新しい出逢いや発見を楽しんでいたお二人がそのときすごく素敵にみえて、表情やことばからきっと豊かな人生を歩んでいるのだろうなと、感じた。そんな方たちだから、大学生だった私たちにこんな話を聞かせてくれたのだろう。

そして、それを聞いた私たちは歳を重ねることが楽しみだなと感じることができた。

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話は戻り、少し前の私がこのことを知ったらきっと驚くに違いない。

もちろん関わってくれた方たちが、フラットでいられる雰囲気を作ってくれたり、出逢いや時間を大切にしてくれたからこそ、私は今こう感じることができているのだが少し前の私だったら、絶対にそんなことはできなかった。

違和感を感じたとき、
いったん止まって、冷静になって考えてみる。

私にとって出逢いは、自分の人生を豊かにしてくれるものの大きな一つだから、自分の思い込みでそれを手放してしまうことはできるだけ避けたい。

今、少し前までの自分には想像もできなかったことが少しずつだけど、たくさん身の回りで起こっていて、これからの出逢いや、過ごせる時間をほんとうに楽しみに感じている。


きっとそんな心持ちでいたら、         誰にだって、その人それぞれの大切で必要な出逢いやチャンスが巡ってきやすいのかもしれないなと、感じた体験でした。


スナフキンの言葉より


“誰かを崇拝しずぎると、ほんとうの自由は得られないんだよ”



読んでくれた誰かにとって、
出逢いを楽しむ、一歩踏み出すきっかけに繋がりますように!


最後まで読んで頂けていたら、とってもうれしいです。ありがとうございます🌼!

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