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祖母との会話で気づいた “できたことの細分化”



最近、祖母と一緒に
買い物へ行ったり、クリニックへ行ったり
車で出かけることが多いのだが

私の祖母はいつも、家に帰るころになると

「今日は買い物もできたし、医者にも行けたし本当よかったよ〜。」とか、
「いつも売ってないお魚のお惣菜が買えてうれしい!」とか

そんな話を、もう今日は1日大満足だ!くらいの 勢いで、すごくうれしそうに私に話してくれる。

まだ午前中なのにも関わらず、もう1日を終えたかのように。

一方の私はというと、
午後はアレとコレをやって、寝る前にアレをやって……。

と、1日のやることリストを立てても、全部達成することなどほとんどなく、1日を終えるころには「あ〜、また今日もできなかった」

と、できなかったことがあると、あまり充実した 気分を味わえずに一日を終えることが多い。

その日の夜もまた、一日にあまり満足感を感じずに
終えようとしていたが、ふと、寝る前に祖母が幸せそうに話していた様子を思い出した。

そしたらある疑問が浮かんだ。

「私のおばあちゃんは、一度できなくなった経験が
あるから、小さなひとつひとつに幸せを感じられるのだろうか?」

もし、一度できない状況にならないと、
ありがたみや幸せを感じれないのだとしたら、あまりにも悲しすぎる。

できれば、そんなことはしたくない。

そんなことをしなくても、幸せな人は幸せを感じられているはず。

疑問を巡らせていると、


幸せを感じるのに必要なのは
できたことを目に見える形にすることなんじゃないかと、思った。

そこにどれだけ気づけるか。

もう少し細かく区切って、物事を見ることができたら…。

この細分化する作業にこそ、価値があって、
そこに気づける人が目標を達成しやすかったり
幸せをたくさん感じられたりするんじゃないだろうか。

目標に近づく過程で、できたことがたくさんあったらきっとそれが楽しく感じるはずだから、目標を 達成しやすくなることにも繋がる。楽しさがあれば続きやすいし、挫折もしにくい。

私はよく、大きな項目ができていないと
何もできていないかのように感じてしまうけれど
実際は小さなことも含めたら意外とできていることもある。

小さなできたことを無視して、全てがダメだと思い込んで自分を責めてしまっては、それこそもったいない。

きっと幸せをたくさん感じられる人は、
感性が豊かなだけじゃなくて、発見上手な人。

自分のことに気づけたら、きっと人のことも
無理にじゃなくて、自然に良いところを発見できる気がする。


それでも、最初から無理に自分を褒めようとしたり、感謝しようとしたりすると、私の場合はどこか違和感を感じてしまうし、そうなると続かない。

自分を褒めましょう と聞くけれど、
無理してすることに対しては、どこか抵抗を感じてしまい、なんとなく気持ち悪い。

だから、無理をするのではなく
まずは、作業として見える形にして確認すること。

他人のことは気づけても、自分のことはなかなか 客観的にみることが難しく、気づく機会が少ないから、ときどき作業としてできたことを見つめてみる。


例えば、
ダイエットをしていたとして
毎日30回腹筋を目標にしてできなかったとしても 座るときに姿勢を意識したことや、空き時間に  ちょっと足上げしたことだって、それも自分のためにできたこと。

寝る前にできなかった自分を責める前に、そこに 時間は費やさず、そんなときこそ感情は入れず、 作業としてただただできたことを見つめてみる。

そうしたら、
できなかったことに必要以上に振り回されることも減りそうだ。できるだけ責める時間を減らして、 次できることにフォーカスしたい。


“できたことの細分化 。”


私はそれが苦手で、今もできるとは到底言えないけれど、気づいたときにちょっと意識してみる。

それが積み重なって、習慣になったら、     きっと発見上手になることを信じて。笑


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