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動物実験の注意事項、そして臨床研究へ:バイオ研究シミュレーション⑤

 細胞実験とは違って、動物実験では様々なエラーの出やすい実験です。細胞実験以上に結果の解釈に悩みます。バイオ研究シミュレーションの最終話として、動物実験から臨床研究への流れをまとめていきます。(文:小野堅太郎、挿絵:中富千尋)

 基本的には、動物実験もバイオ研究シミュレーション①②でまとめた細胞実験と同じ10ステップに沿って進めていきます。おさらいしてみます。

Step 1: まずは研究テーマの知識を掘り下げる
Step 2: 過去の知見から論理的仮説を組み立てる
Step 3: とにかく実験技術を身につける
Step 4: 目的を見据えた実験条件を設定する
Step 5: コントロール(対照)実験を忘れるな!
Step 6: お金と時間から定量解析法を決定する
Step 7: 結果は必ず吟味する
Step 8: エクセルにまとめグラフを作る
Step 9: 先生と結果について議論する
Step 10: 次の謎について実験を組み立てる

 動物実験ではStep 7の「結果の吟味」において、かなり注意を払わないといけません。数値データのばらつきが細胞実験の比ではなく、大きくばらつきます。「このデータ値、変だよね。」と簡単には言えなくなります。日によって、実験結果の平均値に違いが出てくることもあります。細胞実験なら一気に各実験群の結果がまとめて手に入りますが、動物実験では一体一体に時間がかかるので数日に実験を分散させて行う必要が出てきます。

 このばらつきの中で、「この一番高い飲水量を出しているデータはエラーだから排除しよう!」なんてことをしたら、「改竄(かいざん)」で研究不正です。もしこの実験中に「あれ、この給水瓶、水漏れしているな」と気づいていれば、異常に高い飲水量を示すデータは「実験エラー」として排除することができます。しかし!しかしですよ!そういった記述が「実験ノート」に書いて無ければ、排除することはできないのです。小野が大学院生に死ぬほど「実験中に気づいたことは何でもいいから必ず実験ノートにメモるように!」と言っているのは、そういうことだからです。

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 というように、動物実験はある意味「非常にバイアスが入りやすい」実験なわけです。というわけで、Step 5の「コントロール(対照)実験を忘れるな!」に追記しなければいけないのは、「ブラインド試験」を行わなければいけない!ということです。つまり、実験者は注射器の中の溶液が「コントロールなのか試薬Aなのかわからない」条件で実験を行わなければいけません。数匹で試してみて「ああ、この薬効いてるな」と思って、ブラインドで実験を行ったら「ええ!コントロールの方が効いてる!」となって、実験が中断したことが何度もあります。怖いです、実験中、不安でたまりません、でも、この条件で実験しないといけません。

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 最近は、オスだけで実験しているとレビュアーから注意を受けます。オスのほうが性周期がなくいろんな関連因子を排除できるというメリットがあるのですが、世の中、男性女性半々ですから、「オスだけ(メスだけ)で実験しても社会的貢献が半減している」わけです。

 さらにはStep 10において、「動物に侵襲を与える処置」が新たに加われば、再度、「動物実験倫理審査」を受けなくてはいけません。何度も審査を受けるのを避けるために、あらゆる可能性を考えて、すべての実験を盛り込む必要があります。

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 さて、本シミュレーションのテーマ「試薬Aによる口腔がん細胞への影響」では、マウスへの試薬Aの腹腔内投与1週間後において背部に接種した各種口腔がん組織の成長を抑制する(組織重量が低下する)という結果を得ることができました。投与量は1 mgから作用しはじめ、30 mgで中程度、100 mgで非常に強い抑制効果が得られました。実験中、すべてのマウスで20%を超える体重減少はなく、異常行動や副作用も観察されませんでした。

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 と、なったとします。これはいい薬だ、となります。細胞実験と動物実験を合わせて1つの論文にまとめれば、非常に良い報告になるでしょう。そして、試薬Aをがん治療補助薬として使用できないか、と誰もが思うはずです。しかし、臨床試験へは大きな壁があります。それは・・・

特許と製薬です。

 もし試薬Aが誰も報告をしていない新規の物質であったとしたなら、それは「特許」が取れる可能性があります。そして、特許が取れるまで、その物質は秘密にしておかなければいけません。つまり、論文にしてはいけません。大学院生に特許が絡む研究をさせてしまうと、かなりややこしいことになってしまいます。小野の研究室では、特許がらみは絶対、教員が密かにやることになっています。さらに、特許のために論文にはならない安全性試験や書類提出などいろんなことをやらないといけません。教員も表向きに業績が出なくなってしまいます。故に、現状の大学教員評価システムの中では特許が出にくい環境であるといえます。

 薬をヒトに使うためには、動物実験レベルでは使えませんので、ヒトに使える精度で大量合成しないといけません。もうここら辺から個人としての大学研究者の手を離れてきます。その後、臨床試験ということになれば第一相(10人程度の安全性試験)、第二相(100人程度の効果の有無の確認)、第三相(1000人以上の副作用を含めた最終的な薬物効果確認)という流れですが、それぞれ一千万、数千万、数億円といったお金がかかります。つまり、製薬企業がかかわってくる必要があります。そのためには、試薬Aに何らかの特許が取れる状態でないと企業は何も儲かりませんから、試薬Aは世の中に出ることはありません。

 特許と製薬の壁を乗り越えて、ようやく薬が必要な人たちの手元に渡るようになります(発見から20年ほど)。ほとんどが医師の処方箋が必要で、調剤薬局で購入できます。薬局で売っている常用薬は、既に長い長い使用の歴史があって、安全性と使用法が確立されたものです。一部、薬剤師によってしか販売できない薬があるため、日用品も売っているような大型薬局にも必ず薬剤師がいます。

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 このように、薬が皆さんの手に届くまでに、細胞実験、動物実験、臨床試験といった膨大な努力とお金と時間が費やされています。一粒一粒に重みがあることを感じてください。


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