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解剖学と芸術を融合させたヴェサリウス:歯科医療の歴史(近世ヨーロッパ編②:16~18世紀)

 地動説を唱えて現代科学を始めたコペルニクスが亡くなった1543年、医学において画期的な解剖図譜「ファブリカ」が出版される。出版したのは、アンドレアス・ヴェサリウス若干28歳、パドバ大学教授(1514-1564)。これまでにない精緻で芸術的な解剖図が掲載され、それ以後の人体解剖の教科書に影響を及ぼした。いよいよ医学が現代的になってきます。(小野堅太郎)

 ヴェサリウスは、1514年、現在のベルギーの首都ブリュッセルで生まれています。この頃のベルギーはオランダの一部で、神聖ローマ帝国ハプスブルグ家の支配下にあります。代々、宮廷医師の家系ですが、父は私生児で医学を学べなかったものの、宮廷薬剤師として働いていました。15歳で地元の名門ルーヴェン大学に入学してます。ここでラテン語をしっかり習うわけです。当時の学問は、基本、ラテン語です(現在は英語です)。ラテン語ができれば、留学が可能です。ルーヴェン大学中に父が嫡出子と承認されたこともきっかけとなり、曾祖父、祖父と同じく医者を目指し、18歳で超名門パリ大学へ留学します。

 当時の医学は、過去の3偉人ヒポクラテスガレノスアヴィセンナの医学書一色です。しかし、3年のパリ大学滞在では講義中心で、人体解剖が2回しか行われなかったらしく、ヴェサリウスはかなり不満だったようで、卒業せずに自国に帰ります。当時、神聖ローマ帝国カール5世とフランス王の戦争が繰り返されていました。神聖ローマ帝国側のヴェサリウスがパリに居にくかったことは想像できます。

 ブリュッセルでは市長からの公式ルートだけでなく、非公式なルート(絞首台に吊られた罪人を引きずり降ろすなど)で遺体を引き取り、解剖していたようです。カール5世はフランス王との争いの中で、イタリアの支配権をフランスから奪い、1530年にはイタリア・ボローニャで「戴冠式」を敢行しています。そんなこともあり、フランスより人体解剖ができると噂のイタリアの大学へ留学しなおします。

 1537年、22歳のヴェサリウスはパドバ大学の最初の試験に合格します。この試験、あまりに出来が良い上、次の最終試験も素晴らしかったので、医学士の資格をもらい、さらに教員になる事が認められます。さらに、その翌日には、外科学・解剖学の教授となります。

 現在の常識からいくと「えええええええ、凄い!」となります。実は、ヴェサリウスはこうなるように、かな準備していたようです。パリから帰った後に、医学士を取るための論文や臨床実地などを全て済ませていたのです。いきなり教授、という経緯ですが、当時は教授と言っても「普通の教員」の場合もあったわけです。また、当時の医学は「内科」です。外科学はかなり低い地位でした(歯科などもっと低いです)。また、人体解剖自体が倫理的にも嫌がられていた側面もあるでしょう。他の教授の給料と比べてかなり安いので、いきなり教授になるというもの不思議ではないらしいです(下記参照)。

 教授就任の翌年、ヴェサリウスは6枚の「解剖学図譜」を出版します。これもかなり精緻な解剖図で人気を博します。そして、数年後の1543年に「ファブリカ」を出版し、医学史に名前を刻んだわけです。図版は銅板ではなく、木版で作られています。木版で、この精密な絵は凄いです。今から500年ほど前につくられた人体解剖図巻「ファブリカ」には圧倒されます。

 なんと!デジタル資料として東京医科歯科大学図書館のホームページから全719ページが閲覧できます。55ページに下顎骨、57ページに歯の解剖、59、60ページに上顎骨、268ページに喉頭蓋の解剖の絵があります。ぜひ見てみてください。

 さて、1500年も前のガレノスは、「下顎骨は左右に分かれている」としていました。うーむ、ガレノスは動物の解剖しかしていなかったからです。ヴェサリウスは「下顎骨は左右に分かれておらず、1つになっている」と指摘します。これまで誰もちゃんと修正してこなかったのです。ただ、ガレノスが書き残している「肝臓は5葉に分かれる」などの間違った定説がそのまま反映されています。実際に解剖していたヴェサリウスは間違いに気づいていたでしょうが、まあ、いつの世も定説を一気にひっくり返すのは難しいようです。歯については、これまでより正確な形態を記載しており、中に空洞(歯髄腔)があることをしっかり絵に残しています。

 さて、ヴェサリウスは出版後は、自国に戻って宮廷医として生涯を過ごしました。Wikipediaを参照してください。その後、解剖学の医学における地位が向上し、パドバ大学は解剖学のメッカとして有名になります。劇場のような解剖室が用意され、学生だけでなく、お金を払えば一般市民も見学できたようです。

 このパドバ大学へ、一人のイギリス人が留学してきます。その名は、ウィリアム・ハーベイ。血液循環を主張し、近代生理学の父と呼ばれるその人です。医学の神とされるガレノスに真っ向から闘いを挑みます。


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