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鬼滅の刃と臨界期:嘴平伊之助の言語獲得

イノシシに育てられた嘴平伊之助が日本語話者になれたのはある老人のおかげ。伊之助と老人の出会ったのが言語獲得の臨界期で良かった。タイミングがズレていたら、伊之助は鬼滅隊に入隊できなかっただろう。(吉野賢一)

イノシシに育てられた嘴平伊之助:漫画鬼滅の刃(吾峠呼世晴氏)の登場人物。鬼退治を生業とする鬼殺隊に入隊し、「猪突猛進」を連呼しながら鬼を切り倒す。乳児の時に山に捨てられた伊之助はイノシシに育てられ大きくなった。

オオカミに育てられた少女:インドで発見されたオオカミに育てられたという姉妹アマラとカマラがいた。この逸話は「狼に育てられた子」として出版されたり、教育関係でたびたび引用されたこともあるのでご存じの方もいるだろう。姉妹は発話も言葉の理解もできず、二足歩行ができず(四つ足移動)、手を使用した食事ができなかった(犬食い)。実話として紹介されたが、今は完全なる作り話と言われている。信憑性がゼロであっても、臨界期を考えるうえでは興味深い作り話である。

ガンに尾行された研究者:ハイイロガンを含むガンの仲間は、親鳥の後をトコトコ追いかける習性をもつ。日本ではカルガモが馴染み深い。動物行動学者のローレンツ(1973年のノーベル医学生理学賞受賞者)は、生まれたてのガンに自分の姿を見せた。すると成長したガンは彼の後を追いかけるようになった。ガンは生得的に親鳥を追うのではなく、孵化後に見た物体をトコトコ追う行動を習得していたのだ。この学習は「刷り込み(imprinting)」と呼ばれている。刷り込みによってトコトコ行動を学習できるのは、孵化後8~24時間のヒナだけ。その時間外に物体を見せてもヒナはトコトコしない。つまり「ある能力を学習するための適切な時期」があるということ。この時期を臨界期(critical period)と呼ぶ。

ネコに眼帯をした研究者:臨界期はガンのトコトコ行動だけではなく、多種の動物の多様な能力でその存在が明らかとなっている。ヒューベルとウィーゼル(1981年のノーベル医学生理学賞受賞者)は、子ネコの片目を遮蔽してしばらく育て、成長したネコの「見る」能力を奪うことに成功した。ネコの場合、視覚能力の臨界期は生後15週までに存在する(生後3~4週が最も重要)。その間に眼帯などして正常な視覚刺激(光)が脳に入力されなければ、その目からの視覚情報を「脳が見る」ことができなくなってしまう。

ヒトの視覚の臨界期:視覚の場合、小学生低学年(とくに2~3才)に臨界期が存在すると考えられている。したがって、この時期にものもらい(麦粒腫)ができたくらいで、眼科医から「眼帯しましょうね」などと言われることは無い。眼帯をすることにより弱視になるリスクがあるからである(眼科医は百も承知。そのうえで弱視や斜視の治療目的などで見えすぎる目に眼帯をすることはある)。弱視は臨界期における視覚刺激(光)の不足により「脳で見なくなる」ことに起因する。したがって、眼鏡での矯正は極めて難しい(眼科医は百も承知。そのうえで弱視や斜視の治療目的などで眼鏡をすることはある)。

ヒトの言語の臨界期:言語の定義が難しいが、アクセントやイントネーションに限定すると臨界期は間違いなく存在する。吉野は19歳まで関西で過ごし、その後35年以上福岡県にいるが関西弁が抜けない。臨界期を過ぎてから福岡にやってきたので九州弁(福岡弁)がマスターできないのだ。アクセントとイントネーションに関する臨界期は15才くらいまでと言われているが、19歳までに存在していることは間違いない(被験者1名)。ただし、語彙力、読解力や国語力などの言語能力に関してはこの限りではない。少なくとも語彙の数は加齢とともに増加する。「最近の若いもんは言葉を知らん。語彙が貧困だ」ってセリフは当たり前なのである。

ヒトの臨界期:視覚や言語をはじめ、生後獲得する種々の能力に臨界期が存在すると考えられる。ただし、ヒトでの研究が難しいこと(片目遮蔽なんて倫理的にNG)、また臨界期が動物と比べて長いこと、ヒトのもつ能力が複雑であること、個体差が大きいことなどから、その時期は明確にはなっていないことが多い。ただ、二足歩行や摂食・捕食等でも臨界期は存在するはずなので「ハイハイ→つかまり立ち→よちよち歩き」「乳を吸い→離乳食を食べ」などの適切な刺激が適切な時期(臨界期)に入力されないと、能力の獲得は難しくなると考えられる(オオカミ少女の様に)。臨界期の詳細は、脳科学辞典をご参照ください。

嘴平伊之助の場合:伊之助はやや粗野ではあるが、母国語として日本語を習得できている。イノシシに育てられた彼が日本語を流暢に話し、ほぼ完璧に聞き取り、理解できるようになったのは間違いなく「たかはるの祖父」のおかげである。たかはるの祖父は伊之助に読み聞かせを行ってくれた。それが言語獲得の臨界期だったからに他ならない。また、祖父に出会ったときの伊之助は四足歩行をしていた。二足歩行に関しても、祖父とたかはるの歩行を見て学習したのかもしれない。彼らとの出会いがなければ、伊之助の鬼滅隊への入隊は叶わなかっただろう。伊之助と彼らの出会いを演出した吾峠氏はさすがである。

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