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奇想天外イギリス外科医ジョン・ハンターの歯科:歯科医療の歴史(近世ヨーロッパ編④:16~18世紀)

 「ドリトル先生」「ジキルとハイド」のモデルと言われる18世紀イギリスの外科医ジョン・ハンター。歯科医療の歴史・近世編の締めくくりにふさわしい、奇想天外な人物を紹介する。(小野堅太郎)

 16世紀、ヨーロッパでの戦禍の中で、フランスの床屋外科パレとイタリアのパドバ大学教授ヴェサリウスが、それぞれ外科と解剖学の医学界にける重要性を押し上げた。17世紀、交易拡大による食生活の変貌は虫歯(う蝕)の蔓延をもたらし、外科よりも低い地位にあった「歯科治療」をフランスのフォシャールが一気に学問レベルまで押し上げる。18世紀になっても未だやまないヨーロッパの覇権争いの中で、パレと同じくラテン語での大学正規医学教育を受けていない外科医が登場することになる。

 その名は、ジョン・ハンター(1728-93年)。高名な外科医として名声を得る中、世界各地の珍獣を飼いならし、夜な夜な遺体を自宅に運び込んで人体解剖を行っていた。これらのエピソードは、イギリス出身のアメリカ児童文学者ヒュー・ロフティングによる「ドリトル先生」シリーズやイギリス・スコットランドの小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」のモデルとなった。彼は優れた歯科解剖学書を残し、あたかも歯科医療界のヴェサリウスとも言っていい。

 とにかく、ハンターは奇想天外な興味深い人生を送っている。小野はこんな医学史系の記事を書いているので、それなりの数の科学史の書籍を読んでいるが、文句なくナンバー1で面白い科学伝記物は「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」(ウェンディ・ムーア著、矢野真知子訳:河出出版)である。

 まず、話の構成が面白い。幼少時代からロンドンで解剖医として活躍するまでの流れを兄ウィリアムとの複雑な関係を織り交ぜながら、当時のイギリス社会情勢と世界動向を絡めて物語が進む。合わせて、過去のエピソードを伏線として、次々に後に回収されていく。とてもノンフィクションとは思えない作りで、科学に対する深い愛情と娯楽物語の要素が溶け込んでいる。

 ハンターの後世への影響も描かれている。旧来の大学教育を受けた内科医・外科医からの嫉妬や嫌がらせに負けず、戦いながらも弟子を増やしていく。後に種痘予防法を確立するエドワード・ジェンナーとの師弟関係も楽しい。さらに、ハンターの底なしの生命に対する知の欲求が、いずれイギリスの地で生まれるダーウィンの思想哲学に通じていくさまも圧巻である。

 ここまでこの本が面白いのは、翻訳がうまいためである。矢野真知子氏には、もっともっとこの辺の科学本の翻訳をやってほしいのである。

 というわけで、皆さんにこの本を読んで欲しいので、ネタバレになるようなジョン・ハンターの来歴をあまり話したくない。しかし、ちょこっと、30代の頃についてだけ簡単に説明させていただく。

 1763年、35歳のハンターは軍医を退役し(フランスとの第2次百年戦争)、ロンドンに戻ってきます。200年も前にパレにより「銃創を油で焼くのは良くない」と指定されていたにもかかわらず、熱した油や鉄を銃創に押し付けていました。このころには銃はパレ時代の「火縄銃」から「マスケット銃」に代わっています。ハンターは、焼灼や無理に弾丸を取り出す治療法が兵士をむしろ死なせていることに気づきます。そこで最低限必要な血管縫合後に皮膚縫合するという「自然治癒」を重んじました。これらの経験が、彼に「組織再生」への興味を生じさせます。

 ロンドンではなぜか5年間、歯科医師ジェームス・スペンスと組んで歯科診療を行います。当時の歯科治療は、外科よりも低い地位の医療分野です。わざわざ歯科をやらなくても、という感じですが、おそらく歯科は外科より見入りが大きかったのでしょう(フランスのフォシャールはお城まで買っています)。歯科医療の需要は高く、ジェームス・スペンスはイギリス王ジョージ3世の歯科専門技師でもありました。

 その治療の中で、「組織再生」に憑りつかれていたハンターは、なんと、「抜歯した健康なヒトの歯を、雄鶏のとさかに歯根だけ埋め込む」という実験をします。あの「鶏の赤いとさか」を「歯茎」に見立てたのです!数か月後に血管から色液を流し込んだ後、とさかごと切り取りました。歯を柔らかくするために酸処理(脱灰)し、歯を半分に分割すると、なんと!「歯の中(歯髄)に色液が入っている」ではありませんか!

 ハンターは「血管が再生した!」と喜んで、バンバン、健康な人の歯を抜き取って、患者の抜けた歯の部分に移植する治療を始めます。言っときますが、この治療法は、現代ではあまり行われていません!ハンターのとさか実験は、おそらく血管が再生したのではなく、歯を埋め込んだ部分から色液が歯髄の中に漏れただけだと思われます。でも、「実験で確かめる」という姿勢が素晴らしいです。歯だけではなく、雄鶏の睾丸を雌鶏に埋め込む実験もしていて、こっちは同型交配同士で免疫拒絶が起きないため成功したと思われます。さすがのハンターも実験アーチファクトに踊らされたわけです。

 後にハンターは1771年と1778年に「ヒト歯の博物学および歯疾患の報告」を出版します。ハンターのこれまでの解剖スケッチを行ったヤン・ファン・リムダイクによる超美麗な16枚の口腔解剖図が掲載されています。歯科界では非常に重要な文献ですが、ジョン・ハンターの業績の極一部でしかありません。

 それでは、またお楽しみに。次は、豊前国中津藩の話かなぁ。


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