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松かげに憩う:松下村塾の吉田松陰先生

 雨瀬シオリ著「松かげに憩う」(秋田書店)は、史実に従って劇的的な吉田松陰の人生を描いた漫画である。いかんせん松陰先生が長髪の妖艶な美男子として描かれてBLっぽいが、商業上いたしかたない。吉田松陰は山口県萩の人は良く知っているが、一般にはあまり知られてない。「松かげに憩う」は2巻まで既刊であるが、1巻について紹介させていただく。(小野堅太郎)

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 数か月前、山口県萩に行って松下村塾を訪ねたが、「松かげに憩う」は全くプッシュされていなかった。外見は美化されたもののリアルな松陰像を描いているので、萩の人たちが受け入れてもよいと思うのだが、単純に著作権の問題?・・・まあ、いずれにしても、アニメ化もしくは映画化されて、多くの人に知ってもらいたい漫画である。吉田松陰はとんでもない人物なのである。

 雨瀬シオリ氏は教育漫画家である。「松かげに憩う」とは別に「ここは今から倫理です。」(集英社)という高校倫理授業を通した学園ドラマの漫画も執筆している。こちらも愛読させてもらっているが、松陰・高杉ファンの自分としては「松かげに憩う」は格別である。吉田松陰の有名な言葉は多いが、「狂え」と「何のために学問をするのか」は時折、頭に浮かぶ言葉で、本漫画でも多用されていてうれしい。

 第一話は、伊藤博文がハルピンへと向かう船の中から吉田松陰との出会いを回想するシーンから始まる。「そこから始めるのか!」と唸らされた。吉田松陰は衝撃エピソードが多い人なので、黒船密航や安政の大獄から入ってもいいところである。しかし、派手で劇的なシーンから描くのではなく、明治維新に常に関わってきた伊藤博文の回想から、松下村塾での吉田松陰を紹介するというのは、「吉田松陰そのもの」を描くのではなく「吉田松陰の教え・考え(すなわち、学問)」を描くことに力点をおく作者の覚悟を感じた。伊藤博文(当時、利助)が貧しい武家の出身でありながら内閣総理大臣にまで上り詰めた「結果」に、どう「吉田松陰の教え・考え」が影響したかが綴られている。他の多くの塾生と同じく、伊藤博文もまた暗殺される。

 第二話から3回にわたって吉田松陰が描かれる。ここで、なんと、安政の大獄における「吉田松陰処刑」である。松下村塾の塾生ではないが、明倫館で松陰から指導を受け、塾生の兄貴分であったハンサムマン、桂小五郎(木戸孝允)が遺体を引き取るエピソードである。伊藤博文もその場にいて、裸で棺桶に押し込まれていた松陰の遺体に服を着せている。

 吉田松陰の人生を簡単に説明する。まず、長州(山口)の萩には、人材育成のために「明倫館」という上級武士の子供が通う学校が設立される。松陰(寅之助)は子供の時に、その明倫館で山鹿流兵法を指導する叔父、吉田百合之助の養子となります。しかし、病弱の百合之助は直ぐに亡くなったため、松陰の指導を引き継ぐもう一人の叔父、玉木文之進から暴力的勉強指導を受けます。松陰は10歳で藩主に兵法を講釈するまでになり、「明倫館」で教員として働きますが、二十歳を過ぎて江戸に遊学中、佐久間象山に影響を受けて脱藩し、黒船に自分で舟で乗り込み、密航を企てます。当然、捕まって、萩に強制送還。牢獄から釈放された後、実家の杉家に幽閉されます。この時、叔父の私塾「松下村塾」で若手を指導し、久坂玄瑞や高杉晋作などに教えを説きます。しかし、不平等条約を結んだ幕府に腹を立てて老中暗殺を計画。協力しない塾生たちに「絶縁状」を送ったりして再度捕まり、暗殺計画をべらべらと喋りまくり、意見を変えないので、江戸に送られ処刑されます。まだ、30歳でした。

 この滅茶苦茶な吉田松陰の人生を、漫画では非常にドラマチックに描いています。ホントに滅茶苦茶なことをやる松陰のせいで、家族は職を失ったりして、ホントひどいことになります。その中で、実兄、杉民治(梅太郎)との兄弟愛、吉田百合之助と玉木文之進の兄弟愛、この二人と松陰の師弟愛が漫画では語られます。胸熱くなること間違いなしです。

 第5話から高杉晋作に視点が移ります。高杉家は長州藩の名門士族です。高杉晋作は家族の反対を押し切って、夜な夜な家を抜け出して松陰のいる松下村塾に通っていたそうです。伊藤のような下級士族も通う私塾に、エリートが一緒に学んでいたわけです。

 今回の舞台は、松陰が暗殺計画を立てて2回目の萩の牢獄に押し込められた時です。当時、高杉晋作は江戸にいました。高級藩士である高杉は家族を捨てられないので松陰の計画に反対しました(捨てるものがデカすぎる)。それで、松陰より「つまんねえ奴だな、もう絶交!」みたいな手紙をもらってしまいます。高杉晋作が「家族より国だ!」と決意するのは、松陰亡き後、自身がアヘン戦争後の清国を視察した後ですから、「家族か、国か」で相当悩んでいた時期です。漫画では、やはり「決断」部分を描く気はなく、「決断に至る悩みの過程」を描いています。晋作のエピソードですが、明治維新のきっかけとなった最大エピソード「功山寺」も描いてほしいです。

 この漫画全体から感じる最大の共感部分は、現在の倫理観に沿って英雄を描くのではなく「当時の常識に沿って描いている」ところです。伊藤博文や高杉晋作の女好きはそのまま描いていますし、玉木文之進の暴力指導もそのままです。現在の倫理では完全にアウトです。倫理をテーマとした漫画「ここは今から倫理です。」(集英社)も描いている作者だけあって、「各時代における価値観の脆弱性」に真正面から取り組んでいます。

 「松かげに憩う」の吉田松陰、楽しみです。是非読んでみてください。

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