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「昔に見た風景」が、どんどん色濃くなっていないか?(日本学術会議 会員の一部候補の任命を菅首相が見送り NHKニュース10月1日)

日本学術会議 会員の一部候補の任命を菅首相が見送り(NHK10月1日)

日本学術会議が、推薦した会員候補を政府が拒否したことに関して、世間は二つに割れている。1つは、菅首相を擁護するもの。もう1つは、批判するものだ。

私は今回の件を、批判するというよりも危惧している。それは、「昔見た風景ではないか」ということだ。今回の件で、学問の自由が直接犯されるものではないが、間接的に、そして将来的に、犯されるスタートになるものだとは思う。政府批判を行う学者は、冷や飯を食わされるというジャッジをしたことになるからだ。

そして、もう1つ。第2次世界大戦前のドイツや日本の学問的状況を考えれば、今回の件は、非常に大きなことにつながりかねないということだ。時の政府の御用学者として生きていかない限り、学者としての価値はないと暗に示しているようではないか。

近代民主国家は、批判的精神を尊重してきた。そして、独占的権力の行使を抑制し、ある一定の権力使用をバランスの上に、履行していたはずだ。学問というものは、その理論的裏付けを与える重要な要素だった。しかし、学問といえども人間の営みだから、真理から大きく外れることもある。だから、時の権力に与する説を謳うものもあれば、批判的な説を謳って、時の政府を揺さぶることを信条とするものいる。

それでよかったのだ。そのバランスが独裁政権を生まないためには必要なことだからだ。しかし、今回の件は、そのバランスを無視する決定に見えるのだ。ここが私の危惧するところだ。

独裁政権とは言わないが、その形式に近いものになっていくように見えるのだ。前政権からその兆候はかなりあった。官僚の忖度といい、公文書改ざんといい、時の政府に盲目的に従う姿が。

政治主導というのは、政治家の独裁ではない。政治家は、国民に選ばれている限りで、政治家なのだ。ということは、期限があるということだ。このことを忘れないようにしてほしい。

ヒトラーが民主的に憲法を変えて総督になったようなプロセスを知っている私たちは、今回の件を危惧しても良いように思う。政府の特別機関に客観的な立場の人間を入れることを忘れないようにしてほしい。

【教育記事から教育を考える】
2020年10月9日(金) VOL.689
作者:中土井鉄信
(教育コンサルタント・合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)

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