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そっちの電車に乗ってもいい場所には辿り着けない

池袋駅のホームで、埼京線の電車を待っていた時のこと。

その日は朝から列車の事故があって、ダイヤがかなり乱れていた。

列の最後尾に並んでいると、構内放送が流れた。

埼京線が遅れていて、ホーム反対側の湘南新宿ラインの方が先に来るから、そちらに乗ってください、とのこと。

電車を待っていた人の列は、そのままの形で、ホームの反対側に移動することになった。

必然的に、最後尾に並んでいた僕が先頭になり、最前列に並んでいた人が最後尾になるという、実に理不尽な事態が発生した。

僕は別に最後尾のままで構わなかったけれど、流れ上、致し方ない。

その時にふと頭に浮かんだのが、島根県奥出雲町のことである。

島根は、戦後の高度成長から取り残されて、その意味で「最後尾に位置する県」というような見方をされてきた。

その島根の中でも、山間部に位置する奥出雲町については「言わずもがな」である。

ところが近年、その奥出雲町が「最先端」として評価されることが増えてきた。

「奥出雲町が急に経済発展し始めた」ということではない。要するに「評価の基準が変わった」のだろう。

「経済がいくら発展しても、それだけで人間が幸せになるわけではない」「本当の豊かさはそこにはない」ということに、人々は気づいているわけある。

僕はひょんなことから奥出雲町とご縁ができて、一時期は真剣に移住を考えたほどである。

奥出雲町はとにかく米が美味い。奥出雲町のブランド米である「仁多米」を初めて食べた時の衝撃は、今でも忘れない。

そして米が美味いということは、当然水がいい。いい水は美味しい作物を育ててくれる。だから結局「何でも美味い」。

さらに山間部ならではの寒暖差が、作物の美味しさをさらに引き出す。

それだけではない。奥出雲町は経済発展という意味では取り残されてきたかもしれないが、そのぶん、人と人とが助け合うコミュニティがいまだに強く残っている。

そしてそういう魅力に惹かれて、エッジの利いた面白い人たちがたくさん集まっている。そこで行われている地域づくりの実践も、かなり先進的なものが多い。

今後の日本の方向性や、本当の意味での豊かさを考えた時、まさに「最先端」に位置する地域なのだ。

それはある意味で、今まで「最後尾」にいたからこその大転換でもある。

だがそもそも「最後尾」というのは、進むべき方向次第で変わってしまう。それは「先頭」も同じである。

とすると、社会における「幸福観」のようなものが大きく変化している今、こうした「先頭」と「最後尾」の逆転は、いたるところで起こりえるのではないだろうか。

最初の電車の話で言えば、最初に乗るはずだった埼京線が「経済成長=幸福」という価値観の電車だったとして、それが「もう乗れない」ということになる。

そこで反対側の「新しい価値観」を象徴する電車に乗ることになるのだが、その時に、先頭と最後尾の逆転現象が起こるわけである。

もちろん現実はそんな単純じゃないけれども、それでもそういうことは「起こり得る」。しかも、僕の個人的な想像では、けっこう頻繁に起こる。

それは、社会というマクロなレベルでもそうだし、個人というミクロなレベルでもそうである。

ただ、「先頭」とか「最後尾」というのは、同じ方向を目指すから発生するのであって、最終的には、先頭も最後尾もない世界が展開していくことになるのだと思う。

そもそも人も地域もそれぞれなのだから、それぞれの健やかなあり方を目指せばよいのである。

その中で、「やっぱりこれぐらいの経済力はあった方がいいね」とか、「でもこのお店はみんなで守ろう」とか、「この伝統は無くしちゃいけない」とかを、地域の人達で決めていければいいのだろう。

そしていま「最先端」と呼ばれている地域は、それができている地域なのだと思う。

ただ単に「国家」の方向性に従い、経済最優先でいこうとする地域は、これからどんどん苦しくなっていくだろう。

「そっちの電車に乗ってもいい場所には辿り着けない」ということを、僕たちはじゅうぶん学んできたはずである。

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