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僕が15歳にして社会人になるまでの話し

僕は中学を卒業すると同時に父親の催事業を手伝う事となりました。
理由は片親の父に「あんまりお金無いけど、高校行きたいなら、なんとかするから」と言われた事。


僕のまわりの同級生に聞いた。
「進学して勉強したいの?」
大体の答えは「みんな行くから行くだけだよ」
そう、目的なく進学する人がほとんどだった。


ま、僕のまわりにはそのレベルの人しかいなかっただけ、
というのもあるかもしれませんが(-_-;)


僕はもちろん勉強はいつも100点でした!5教科の合計が (;・∀・)ぇ?



そんな状態で父にあんな事言われたら、
とてもじゃないが進学する気にはなれなかった。


という事で中学を卒業と同時に父の催事業を手伝う事になった。
催事とはデパートなどの催し物コーナーで1週間くらい、入れ替わりで色んな業者が色んな物を販売する事。


父はアイデア商品や健康器具、日用雑貨などを問屋から仕入れて、各地のスーパーやデパートで販売する仕事をしていた。


実家は北海道の札幌で道内各地の店を転々と売り歩いてた。
父は自分で各地の店に営業して、売り場の広さや売り上げの何%をマージンとして店側に支払うかなど、自ら交渉してた。


ここで少し父の紹介をしておこう。


父は若い頃、警察学校の採用試験に受かったが、学生運動真っ盛りで友達に「裏切るのか!」とか非難されて、やむを得なく旭川の教育大学に入学し、音楽の教員免許を取得したらしい。( ゚Д゚)スゴ


こう聞くと頭良さそう。
しかし、大学卒業後は子供はワガママだから嫌いという理由で教師にはならず、ピアノとサックス奏者として仲間とバンドを組む事に。( ゚д゚)ポカーン


なんか、風向きが怪しい、、、
時代はバンドブームで父らはススキノのキャバレーなどで生演奏をして収入を得ながら生計を立ててました。


そんなバンドの女性ボーカルと父は結婚し、僕は生まれました。
でも、僕は指が短すぎてギターのコードをまともに押さえられません。
関係ないか(*´Д`)


バンドブームも下火になり、子供嫌いで稼ぎも少ない父は見事に母に捨てられて離婚。
僕はそれから15歳まで祖母に育てられました。
ほぼほぼ祖母の年金だけで生活していたので、極貧でしたね~
父は月に1回ふらりと帰ってくる程度で、どこで何やってたのかは謎です。


そりゃ、グレるわ~と思うでしょ?
正解!(^^)/
いじめっ子になったり、いじめられっ子になったり、
15の夜に就職して自由になったのさ!(^^)/


そうやって催事の仕事を始めたわけですけど、
1つ悩みがありました。
それは僕の1日の日当が2,000円だったこと。


大体のお店が10時から夜20時くらいまで営業してるので、
1日10時間労働くらいです。
時給200円か、どゆこと?( ゚Д゚)


ま、親子でやってるんだし、1日2,000円なら、ちょっと貯めればゲーム買ったり、漫画買って読んだりできるし!とか思うでしょ?
この日給2,000円って、飯代込みでしたから。。。(゚д゚)はぁ?


やっぱ親子ケンカとかもしましたし、色々ありましたが、
17歳になるまでの2年間は約束したので根性で手伝いましたよ。
謎の日給2,000円(飯代込み)で。
ただ働き同然で、さすがに恩返し終了やで。
大した恩も受けてないけど。笑


そこから金銭欲に飢えたまま解き放たれた、
中卒でアホな僕の崖っぷちギリギリで、
落ちそうで落ちない人生が始まりました。



~つづく~

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