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otonaの発達/生き残り戦略。


【弱小コロナこそ強敵】
コロナをなめていた。「インフルエンザの方が重症化しやすい」なんて言っている、テレビのコメンテーターのことを完全に信じ切っていた。確かに、データ上でのパーセンテージは、そうなのだ。でも、コロナはウイルスとして弱いからこそ強敵で、世界にコロナショックを与える存在になっている。

ウイルスとして強いヤツは、感染者が特定しやすい。感染すると何らかの症状として表れるから。インフルエンザなら、高熱が出る。
だから、「感染したかもしれない」と自分で自覚する。強いウイルスであればあるほど、感染者が重症、もしくは死亡してしまう確率が高いが、特定しやすく、隔離することも割とできたりする。

でも、コロナはそうじゃない。
感染しても無症状の人が大半で、自分でコロナに感染したどうか判断できない。その結果、感染が拡大していき世界にコロナショックを巻き起こしている。ウイルスとして弱いから強敵。これは、コロナ自身の生き残り戦略。そして、その生き残り戦略は、見事にハマっていると言えるのではないか。


【私達の生き残り戦略は?】         強敵コロナに立ち向かう私たちもまた、この状況を生き抜くための戦略が必要だ。どうしたら、いいのだろうか。最近は常に「生き残り戦略」を考えている。生命としての生き残り、仕事(働くこと)に関しての生き残り。沖縄には「ヌチドゥ宝」と言う言葉がある。「命こそ宝」と言う意味だ。そうだ。命より大切なものなどない。でも、ここでいう「生き残り」は、ただ単に命さえあれば良いということではない。私達が生きて生活していくためには、経済の循環が必要だ。でも、その経済活動全体がコロナによって大きな打撃を受けている。その中で、命を一番に考えながらどう経済活動行うのか。それがテーマ。さて、人類はどう生き残るか。私は生き残りの戦略をどう立てようか。


【生命としての生き残り】          命の大事さということにフォーカスした場合、やれることは限られている。まず、手洗いうがいの徹底。そして行動を制限すること。不特定多数の人との接触をしないこと。人が動けばコロナも動く。だからできる限りの行動の自粛、制限が必要になる。そして、自分の心身の健康を維持すること。こういう時だからこそ、食事や睡眠、適度な運動や精神面の安定がものすごく大事なのではないか、と思っている。
そして、私自身「私はすでに感染者だから、人にうつさないように気を付ける」という意識で動くようになってから、自分の行動の基準を判断しやすくなったと感じている。

「うつったらどうしよう…」は、常に見えない敵と闘っていて、精神的にも負担が大きい。でも、すでにコロナに感染しているけど、症状がでていない私、と仮定して行動するようになってから、
                     「重症化しないために、美味しい食事を取ろう」
「リラックスするために、今したいことは何か」「人にうつすかもしれないから、我慢しよう」 

そんな風に考えるようになった。「うつったら、どうしよう」よりも「重症化しないために、こうしよう」の方が、精神的に楽。言葉のニュアンスもポジティブイメージに繋がる。自分自身の命を守るため、身の回りの大切な人の命を守るため、感染拡大を防ぐために、自分自身ができる最善のことを判断しつつ、精神的に参ってしまわないようなポジションにいられるような感じ。


【社会的立場の生き残り】          生命の生き残りをベースにして、同時に考えていかないといけないのが社会的立場の生き残りである。キングコングの西野さんが、「本当に誰一人として外に出ずに2週間家にいれば、コロナを封じ込められることくらい、みんな分かっている」
って、最近のVoicyで言うてたな。でも、それができない。なぜか。

「2週間、誰一人として外にでない」ことの徹底ができないのは、「私達一人一人が信頼で繋がっていないから」と西野さんは解釈してた。そう。誰一人として外に出ないことを徹底することは不可能=誰かは裏切るということを思ってしまう私たちなのだ。

すべての経済活動をいっぺんに停止することができないと私たちは思い込んでいる。(もちろん、私もそう思っている)それから、みんなが「自分の生活は自分で守らなくちゃいけない」と思っている。働かないと食べていけない、生活できない。だから、動く。働く。

コロナ禍の中で、「命より大事なものはないから、仕事なんてするな」という意見と、「国が補償してくれないのだから、仕事しないと生活できないんだよ」という意見をもってSNSでバトっていたりする。でも、私はどちらも間違っていないし、どちらも正解だと思っていて、この議論の決着なんてないと思っている。

ただ、社会的立場の生き残り方は変化させていく必要がある。いや、むしろ変化させないといけない。コロナ禍によってもたらされている今の状況で、経済が回らない一番のネックは何か。「人と人とが直接会うこと、集まることや対面することに制限がかかっていること」である。人との接触に制限がかかると経済が回らない。つまり、会うことでしか成立しないビジネスで世の中の大半が動いていたということ。学校もそう。飲食店もそう、ジムもそう。整体、美容院もそう。私達の日常は、人と会うこと、触れ合うことで成立していたのだと改めて実感している。


私自身、メールや電話より会う方がいい。相手の温度感を感じられるから。だから、こうなるまでは、物理的な距離の問題がある相手としかオンライン上でのやりとりはなかった。でもコロナの禍中で、「やっぱり対面でなきゃ」なんて悠長なことを言っている場合ではなくなっている。改革、変化、適応が求められているのだ。私達はコロナウイルスに挑戦状を叩きつけられた。
「君たちはどうやって、生き残るんだ?」


【枠を外して、超えていく】
今までは、会うことで成立していたことが通用しない。でもコロナはいつ収束するかわからない。
だから私たちは、今までの常識や方法、手段という「枠」を外して考えたり行動することが求められていて、むしろ今までのやり方や考えたかに固執している人は、社会的立場の生き残りはできないと思う。正社員だから大丈夫、公務員だから大丈夫ということでは決してない。

正社員や公務員という立場の方は、フリーランスや個人事業主のように今すぐに困ることはないかもしれない。でも、「私は大丈夫」という安心が近い将来、一瞬にして崩れてしまう可能性があることを心に留めておく方がいい。
会社が倒産してしまえば、正社員ではなくなるし、人と会わないでも経済がまわってしまう仕組みができたら、公務員ですら人員削減が検討されクビを斬られる可能性だってある。

これからAIの時代が来ることは、以前からキングコングの西野さんも堀江さんも言っていた。一つだけおさえておきたいのは、私は、オンライン上のやりとりやAIで全ての経済がまわればいい、ということが言いたいのではない。AIやオンラインを否定して、「やっぱり人じゃなきゃ」なんて、無理やり意味を持たせていた分野は、今、改革に迫られている。本当の意味で「人でしか成り立たない仕事」しか残らないという現実が目の前にあるのだ。人じゃなくてもできることは、変化していく・・・いや、変わらざるを得ないのだ。コロナ禍によって、今まで本当は気づいていたけど、先延ばしにしてきた課題が目の前に突きつけられている。

だから。
今、私は「社会的生き残りをかけて何をすべきか」。自分自身の枠を外したり、超えたり、壊したりしながら。これまでの自分の手中にないことに挑戦するべきタイミングなのだ。「生き残りたいなら、お前、もっともっと発達しろよ!」とコロナが私に訴えている。生命を維持しながら、社会的生き残りをかけて。

…生き残り戦略としての発達が必要なんだよな。



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