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いかにして私たちは事実を捨てフェイクを望むようになったか――アンダーセン『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』上巻レビュー①

(※この記事は2019/07/30に公開されたものを再編集しています。)

「幻影は消えました(The illusions were gone.)」

あなたを惑わせる幻はもうない。2019年6月末に公開された「スパイダーマン:ファーフロムホーム」には、こうしたセリフが時折登場する。「ファーフロムホーム」にせよ、「ホームカミング」にせよ、トム・ホランドが主演を務めるスパイダーマンシリーズには、絶えず、事実と幻想と取り違えるというモチーフが顔を出している。

とはいえ、私たちの生きる世界は、このセリフほど単純ではない。2017年1月22日、アメリカの大統領顧問ケリーアン・コンウェイが、自陣営の虚偽発言を、「事実(facts)」ではないにせよ、「また別の事実(alternative facts)」であると擁護したことを思い出されたい。このフレーズは、「トランプ大統領の就任式に集まった人数は、過去最大の人数だった」というホワイトハウス報道官の発言について、コンウェイが問い質されたとき、彼女の口から出たものだ。

トランプの就任式に集まった人数は、航空写真からしてオバマ大統領よりも少ない。つまり、報道官の発言はフェイクなのだ。しかし、コンウェイは、事実とフェイクを同列に扱い、私たちが「事実」と呼んできたものを、「ありうる語りの一つ」だとして些事化した。事実は「無数にある捉え方の一つ」にすぎない、というわけだ。「事実」概念に虚偽を繰り込むことに慣れてしまえば、何かを語るときに、それが真実であるかどうかはどうでもよくなってしまう。事実は私たちを拘束するのではなく、私たちが事実を生み出している。私たちが住んでいるのは、事実と幻想の区別がつかないフィリップ・K・ディック作品のような世界だ。

事実の制作とポストトゥルース

SFじみたコンウェイの言葉は、トランプ政権、アサド政権、オルト右翼、ブレグジット主義者など、数年来、私たちの目を引く一連の事態の一つの現れであるように思われる。その観察は正しいだろう。とはいえ、そこで立ち止まれば、事態を近視眼的に捉えることになりかねない。2004年頃には、事実や現実は、私たちを縛るものでなく、作られるものだという発言が話題になっていたからだ。

私のような人は、「現実ベースのコミュニティと呼ばれるものの中に」いる。そのコミュニティで、識別可能な現実を思慮深く検討することから、解決策が生まれると信じている。(中略)だが、「世界は、もはやそんな風に動いていない」と彼は続けた。「今や、私たちは、ある種の帝国であり、私たちが行動するとき、自身の現実を作っていることになる。そして、その現実を――望むなら思慮深い仕方で――検討している間は、検討しうる他の新しい現実を創造しながら、今一度行動することができる。」

Suskind, R., (17,Octorber, 2004), "Faith, Certainty and the Presidency of George W. Bush” The New York Times

この言葉は、J. W. ブッシュ政権で次席補佐官などの要職を務めたカール・ローヴのものとされている。2004年には、事実よりも制作されたもの(=幻想)が支配的になっているとの発想が、アメリカ政府の要職の口から語られたのだ。

事実と幻想が混同されていく事態は、「ポストトゥルース(post-truth)」という言葉と紐づけて理解されている。「ポストトゥルース」という言葉は、2016年にオックスフォード英語辞典の「今年の単語」に選ばれたことで知られる。そして、この言葉が英語圏で一般化したことを示す事例として、しばしば挙げられるラルフ・キーズの著作、The Post-Truth Eraの出版年が、上の発言と同じく2004年である。だとすると、21世紀になってはじめて、私たちは、事実を軽視するようになり、作られた幻想を好むようになったのだろうか。

フェイクを生み出す習慣

実のところ、キーズは、ジミー・カーターが1976年の大統領選で「嘘をつかないこと」を掲げたことに言及しながら、1980年代以前/以後で断絶があると指摘している。メディア環境の変化によって、膨大な情報が流通することにより、フェイクの総量も結果的に増大していくので、結果として欺瞞や嘘が日常で目につくようになり、1980年代以降に、不誠実さを感じることなく嘘をつくこと、ためらいなく偽る習慣が成立していった――キーズは、こうした状況を「ポストトゥルース」と名づけた。

ここで重要なのは、目前の出来事には、それが生み出されるに至るまでの来歴や系譜のようなものがあるということだ。出来事には、経路を遡ることでしか理解できない側面がある。キーズの著作以上に、そのことを印象的に示してくれるのが、本書、カート・アンダーセン『ファンタジーランド:狂気と幻想のアメリカ500年史』である。

日本語訳にして1000ページ近い大著をアンダーセンに書かせたのは、アメリカが「ファンタジー」に取り憑かれた国であり、そして、それこそがアメリカニズムの核心だという直観だった。我を失うほどに夢を追い求め、幻想を事実と取り違えるという国民性。それを表すエピソードとして、アンダーセンが好んで言及するのが、アメリカ建国の前史として描き込まれている二つのエピソード、16世紀のゴールドラッシュと、ピルグリムファーザーズである。

16世紀の金なきゴールドラッシュ

イギリスの貴族で冒険家、そして、熱心なプロテスタントだったウォルター・ローリーは、新世界に魅せられていた。彼は、イギリス王室の雑務を担当していたリチャード・ハクルートに、過去に探検家が行った報告――大抵はまた聞きか、また聞きのまた聞き――を拾い読みさせた上で、4万字にもおよぶ報告書を作成させた。報告書について、アンダーセンはこう説明している。

北アメリカ東部の調査結果はすべて、「金や銀、(中略)トルコ石やエメラルドなどの宝石が」沿岸各地に「あることを確実に証明している」。南部の「土地に金銀がある」ように、その少し北にも金銀があることは「土地の色から見ても」間違いない。もっと北にも「金銀についての報告がある」。当時のイングランドの人口は、経済発展よりも速いペースで増えていた。そのためハクルートは、「仕事をしていない男たち」をアメリカに送り出し、「金採掘の仕事をさせる」よう提案している。(p.28-9)

当時のアメリカにイングランドの植民地はなく、貴族のローリーはアメリカを訪れた経験がなかったにもかかわらず、アメリカには金鉱や宝石があり、新世界が、聖書のいう「エデンの園」だと信じ込んでいた。

 夢を現実に見せるために、様々なエピソードや聞き書きを盛り込んだ報告書の力強さとは対照的に、彼らのヴァージニアへの入植はうまくいかなかった。ローリーが派遣した最初の入植者の大半は病気で死亡し、第二次の入植者に至っては全員が亡くなった。彼らは、単に命を落としただけでなく、結局のところ、鉱脈を見つけてもいなかった。にもかかわらず、入植者は「もうすぐ見つかる」とイギリスの友人に手紙を書き、探検隊の隊長は「金が見える山」の存在を報告していた。金への幻想に取り憑かれた当時の入植者たちには、《幻想のほころび》が、視界に入っていなかったのだ。

 ヴァージニアのジェイムズタウンへの入植者は1620年には6000人以上にまで増えていた(これは当時のイングランドの中規模都市程度の人口だ)。結局、その4分の3以上が死んだにもかかわらず、入植者は夢を信じて次々と押し寄せた。希望はやがて妄想に変わった。アンダーセンの言葉を借りれば、「金なきゴールドラッシュ」である(p.34)。しかし、“アメリカンドリーム”はこれだけで終わらなかった。

急進派のユートピア願望

西洋人によるアメリカの建国というと、ピルグリムファーザーズが思い浮かぶのではないだろうか。ピルグリムファーザーズは、宗教的自由を求めてイギリスからアメリカに渡った英国国教会の改革派(ピューリタン)のことだ。
カトリックに対する革新として登場したプロテスタントは、様々な事情から、イギリスでは体制に組み込まれ、多数派となった。そうした改革派に対する急進的な改革運動として、素朴なまでに「純粋さ」を追い求めた立場が「ピューリタン」と呼ばれた。急進的なまでに純粋さを追求したピューリタンは、イギリス国内で弾圧に遭って亡命し、根無し草になると、その一部が探検家の見聞録に影響されて自分たちだけの宗教的ユートピアを作る欲望に駆られ、東海岸北部のプリマスに入植した。アメリカを、自分たちの「約束の地」だとみなすようになったのだ。彼らは、侮蔑的なニュアンスのあるピューリタンではなく、ピルグリムファーザーズ(巡礼始祖)と呼ばれるようになった。
 先住民がいることを認識しながら、(怪しげな伝聞であるにもかかわらず)土地の肥沃さに過剰な期待を抱き、宗教的ユートピアのために、危険な船旅をしてまで、彼らは渡米した。アメリカという土地の実情を軽視するほどに、彼らは宗教的希望を、妄想のように強く抱いたのである。アンダーセンは、「つまりアメリカは、常軌を逸したカルト教団により建設されたのだ」(p.44)と皮肉っている。 彼らの後に続いたピューリタンは、強く宗教的希望を抱くあまり、他者に危害を加えるほどに過激化する傾向にあった。例えば、神権政治が行われた当時のボストンやセイラムでは、英国国教会の聖職者が足を踏み入れることを禁止し、クエーカー教徒(プロテスタントの一派)やカトリックを絞首刑に処し、魔女狩りが吹き荒れていた。
 これら二つのエピソードが示唆するように、西洋人によるアメリカ建国の発端には、根拠なき夢への妄執と、事実と幻想の取り違えが描き込まれていたのだった。本書は、この調子で時代ごとの転換を抑えながら、500年にも及ぶ幻想の系譜をたどっていく。

ケリーアン・コンウェイ(1967 - ):ドナルド・トランプ政権の大統領顧問
フィリップ・K・ディック(1928 – 1982):アメリカのSF作家
reality based community
カール・ローヴ(1950 - ):アメリカの政治コンサルタント。歴代の政権で数々の役職経験。
Keyes, R., (2004) The Post-Truth Era: Dishonesty and Deception in Contemporary Life, St. Martin’s Press
ジミー・カーター(1924 - ):第39代アメリカ大統領、2002年ノーベル平和賞受賞
ウォルター・ローリー(1552または1554 – 1618):イングランドの貴族・探検家・作家
ピルグリムファーザーズ: アメリカに渡ったイギリスのピューリタン


②に続く

2019/07/30

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。


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