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自分の経験からジェンダー問題に寄り添う

ジェンダー問題に特に興味のある高1の娘。
最近は申込フォームの性別欄に「男」「女」しか選択肢がない場合も気になるようだ。
最近は男/女の他に「答えない」とか「その他」という選択肢もあることが増えてきたため、男/女の二択しかないことに物足りなさを感じるそう。

先日、病院へ行ったとき、カルテの性別記入欄に「男と女しかないね」と言ったときには、「それは仕方ない。身体の区別を聞いているだけだから、あまり気にしないで」と話した。

私自身は、自分が女性であることに全く違和感は無いし、ジェンダー問題についても「そういう人もいるんだね」くらいにしか考えてこなかった。
しかし、身近に問題意識のある人がいると、発言自体も多少は気を遣わなければならないので、自然と意識するようになる。

そんな中、ジェンダー問題に寄り添うには、自分自身を省みてはどうだろうと考えた。

ジェンダーに関して、自分の思う所は無かったのかどうか。
娘と同じ、高校時代はどうだった?
その前は?
その後は?

考えてみると、やはり私でも、多かれ少なかれさまざまな場面で「女性である絶望感」を感じて生きてきたかもしれない。

特に幼少期は、周囲がわりと(いやけっこうガチな)男尊女卑の環境だったから、「男の子に生まれてきたらどうなっていたかな」と考えたこともあった。
しかし、子どもなりに自分のアイデンティティを否定することは悲しすぎると分かっていたので、そんなこと考えたって仕方ない、と打ち消していた。

大人になってからも、結婚を意識するとき、キャリアを考えるとき、出産をするときなど、いろいろな場面で小さな絶望を感じて来たと思う。
そのたびに「女性に生まれて良かったこと」を考えて、やはりここでも自分の気持ちに折り合いを付けて生きてきたと思う。

だからといってその哀しみが消えるわけではないのだが、この経験が、今、役に立っているような気がする。
全く同じ哀しみではなくとも、相手のことを想像するために役に立っている気がするのだ。
完全に理解できなくても、寄り添うことはできる。
そして、その気持ちを大切にできる。

自分が経験した痛みは、誰かの痛みに敏感になることができる。
そして、歳を重ねた今、何かしらそれについてのバックアップができるかもしれない。
最近よくそう思う。

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