「それでも世界は美しい」とは?同時多発テロとラオスの旅を経て
写真家・谷口京さん
諸岡:これまでも教育について色々な方にお話を伺ってきましたが、今回のゲストは世界60ヵ国を旅しながら写真家として活躍されている谷口京さんです。谷口さんよろしくお願いいたします。
谷口:よろしくお願いします。
諸岡:すごいおしゃれな背景なんですが、ご自宅ですか?背景のその、絵ですか?写真??
谷口:これ写真です。カンボジアのアンコールワットの境内の菩提樹。菩提樹を見上げた写真です。
諸岡:谷口さんの作品。
谷口:はい。
諸岡:いやあ、すごい。
谷口京さんは大学で写真学科を卒業後
NYで写真家として活躍され
現在は日本を拠点に世界の写真を撮り続けていらっしゃいます
さらに、大学の先生でもあり、
二人の女の子の子煩悩なお父さんでもあります。
諸岡:谷口さんの背景、向かって左側に写ってるのは、なんかイラスト?絵ですか?
谷口:これはあの、子どもたちが描いた絵です。コロナの間、外に行けない分、家の中でも、アトリエにして、絵具を好きなように使って筆を持たせて描いてたんですけど。
きっかけはジャンケンに負けたこと?
諸岡:谷口さんは、何がきっかけでカメラマンになられたんでしょうか?
谷口:まあ、本当突然のきっかけだったんですが、高校2年の時にアルバム委員を決めるジャンケンで負けたんですよ。
諸岡:あは、負けて(笑)。
谷口:いやいやアルバム委員になったら、父親の一眼レフを引っ張り出して借りて、モノクロフィルムを詰めて友達を撮ってたら、それがすごく面白くて。
諸岡:へえ。
谷口:で、その前から、世界を旅しながらドキュメンタリーを撮ったり、映画であったりテレビであったりニュースであったり、そういった方向に進みたいなとは漠然と思っていたんですけど。写真がいいんじゃないか!と、その時に気づかされて。はい。で、その時にちょうど横浜に国際美術館ができたんですけれども、日本で初めて写真専門の部屋ができたんですよ。
諸岡:へえ。
谷口:その部屋ができた時に、たまたま行って。で、写真室に入った時に、戦争写真家でベトナム戦争で亡くなられた、沢田教一さんの「安全への逃避」という写真があるんですね。
諸岡:はい。
谷口:ピュリッツァー賞という報道で一番有名な賞を取った。その写真を見た時に、もうなんかビビッときて。一枚の絵に全てがこう・・・戦争の悲惨さであったり、家族の愛であったり、人間の尊厳であったり、いろんなことがつまっていた。
まあ、その時に自分がそこまで感じていたかは分からないけど、ああ、一枚の絵でここまで伝えられるんだ!写真って本当にすごいんだなぁと思ったんですね。これがすごく大きかったですね。それでまあ、大学三年の時に卒業制作でアメリカ横断したんですけれど、その時に「あ、これが自分のやっぱやりたいことだ!」と、ほーんとに楽しかったんですよ。ですので、旅するように仕事ができたらいいなと、その時から思っていました。
諸岡:わあ、すごい。
大学卒業後、単身NYヘ
諸岡:いきなり渡米されたわけですけど、英語はその時お話になったんですか?
谷口:英語は全くできないですよ!全然できませんでした。
諸岡:なんたる勇気!
谷口:NYのJFK空港に降り立って、バスの運転手さんに、「このバスは地下鉄の駅に行きますか?」って聞くつもりが、あの、頭が真っ白で、「これは地下鉄ですか?(Is this Subway?)」って聞いちゃって。
諸岡:(爆笑)
谷口:運転手さんが「No,No,No,No,Young man!」つって(笑)。「Welcome to NewYork!!」つて、乗客の皆さんも「Ah!」って。「Welcome to NewYork!!」は嬉しかったです。
諸岡:いいですねえ。
谷口:で、NYでアシスタントやスタジオマネージメントなどを経て独立して。NYは、結構ね、色々仕事がやっぱり舞い込んでくるところなんですよね、いろんな出会いがあるし。
カメラマンになるには?
諸岡:カメラマンってでも、どうすればなれるものなんですか?
谷口:今はね、誰だってスマホでも写真撮れるし、その日から「俺はカメラマンだ」と思ったらカメラマンです。ただプロになるかどうかはまあ、別ですけど。
誰もがカメラマンの今伝えるべきメディアリテラシー
諸岡:今ってみんなスマホを持って、有名人をパシャって思わず取っちゃったりとか、事故の現場をとっちゃったりとかって、なんでも撮って拡散しちゃったりしますよね。そういう風に撮影をすることって、暴力にもなりかねないと思うんですけど、そういうメディアリテラシーみたいなものを、子どもにわかってもらうにはどうすればいいと思いますか?
谷口:その写真にどんな意味があるのかを考えてもらうべきですね。例えば、事故現場に遭遇して、興奮してたりとか、つい撮ってしまうかもしれないですけど、やっぱり一歩引いた目で、それは正しいことなのかどうなのかを考えてもらうことが大事かなと思います。
諸岡:なるほど。楽しい、面白いで撮るのではなくて、冷静になってこれは正しいことなのか、倫理的というかモラル・・・
谷口:ええ、モラルの問題ですね。集団の心理ってあるじゃないですか。
諸岡:はい。
谷口:その中でも、やっぱりこれは違うなって、そこで勇気を持ってこれは違うんじゃないかって言える大人になってほしいですよね。多分、それはもう日常生活の中で、学校や家庭の中で身につけていくことなんでしょうけど。
シャッターを切らなかった日
諸岡:なんか、谷口さんご自身で、これは撮っちゃいけないという感覚に陥ったことってあります?
谷口:撮っちゃいけないというか、これは僕が撮るべきサブジェクトじゃない、対象じゃないと思った出来事は、NYで2001年の9月11日に起きた同時多発テロ。ツインタワーに2機の飛行機が突っ込みましたけど、ちょうど僕はその時にNYにいたので。NYコレクション、ファッションショーを撮る日だったんですね。ファッションウィークの3日目だったかな。マークジェイコブスというブランドの撮影の前で、ちょうどその直前に2機目が起きたんですけど、僕、会場にいて、街はざわついていたんですけど、2機目が突っ込んだ時にもうこれは、おかしい、テロだって。で、周りに世界中から集まっていたフォトグラファーがいっぱいいたんですけど、みんな「俺、じゃあ行ってくるわー」っていってみんなダウンタウンの方向に行くわけですよ。けど僕は、唖然と見てるしかなかったですね。手元には普段使わない、ファッションショーを撮るための望遠レンズとか、当時フィルムですから、1日で使う100本以上のフィルムを持っていたわけですよ。
諸岡:うわあ、はい。
谷口:それで・・・撮らなかったんですよ、1枚も。なんで自分はあの時写真を撮らなかったんだろう?俺は写真家じゃないか、カメラマンじゃないか。どうして目の前に人に伝えること・・・自分が伝えることってなんなんだ!?ってことをすごい考えさせられて・・・はい。あの、写真が撮れなくなった時期がありましたね。
諸岡:そうなんですねえ。
谷口:自分は何を撮りたいのかって分からなくなって。1回日本に帰国して。日本に帰国したんですけど、今度、NYで体験したことをシェアできる人がいないんですよ。なんで、余計、ちょっと辛い時期があって。
で、旅に出たんですよ。東南アジア、あのー、カンボジア〜ラオスとかあのあたりをずっと旅してる時に、ラオスの田舎で、こう、田んぼがあって、そこに子供たちがいたんですね。外国人が珍しい地域だったんで、「外国人が来た!」外国人をファランっていうんですけど、「サバイディー、サバイディー、ファランが来たー、サバーイ」って、こう手を振ってくれるんですね。で、駆け寄ってきて、本当に無邪気だったんですよ。こう、稲穂が出ていて日がさしてて、すごく綺麗な光景だったんですね。やっぱ、その時に自然に写真撮ってたんですよね。それまでカメラ持ってたんですけど、全然シャッターを切る気分が起きなくて、鬱々と旅してたのが、その時の子供の笑顔を見た時に、自然にやっぱり心が動いてシャッターを切って、あ、これなんだ!って、自分が伝えたいのは「それでもやっぱり世界は美しいんだな」って、世界の美しさを伝えたいって、その時にこう、ようやくわかったというかな。救われましたね。
諸岡:うううん。
谷口:その、沢田教一さんの作品とかも、やっぱり戦地の中で人の命とか人間の尊厳とか美しさを、やっぱシャッター切ってらっしゃるんで、高校の時にそれが響いたんだと思うんですよね。
編集後記
まさに、世界を股にかけて活躍されている、写真家の谷口京さんにお話を聞くことができました。きっと色々な引き出しを持っていらっしゃるだろうとは思っていましたが、1つ1つのエピソードに写真家らしく豊かな情景描写を交えて語ってきただきました。今月残りの3本もお見逃しなく!
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