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オンライン読書会『バースデイ・ガール』レポート

 今回の参加者は主催を含めて5名でした。やはりこのくらいの人数がいると多様な意見が出て、かつ議論も深まります。参加してくださった皆様ありがとうございました。

 以下読書会の内容です。ここからは、ネタバレを含みます。

感想

・彼女の願いは何だったのか。ヒントは、その願いが20歳の女性の願いとしては一風変わった願いであること、世俗的な願いではないこと、時間のかかる願いごとであること。ここから彼女の願いは『満足した人生を送ること』『人生に意味を感じること』などと考えられるのではないか。物語のはじめに、彼女がボーイフレンドとケンカをしている、というのも一つの根拠である。(つまり、この時点で彼女は人生に意味を感じられなくなっているということ)

・老人の「君がそう望むなら」というセリフは、彼女に、自分の願い(欲望)を意識せよ、ということを言いたかったのではないか。何かを願い、それを叶えるというのは裏返すと、自分の願い以外を捨てることを表す。老人はそういった人生の一回性を彼女に伝えたかったのではないか。

・「願いごとというのは、誰かに言っちゃいけないことなのよ」という彼女のセリフがあるが、老人に願いを言うことでマイナスの意味もあったのだと思う。つまり、自らの願い(欲望)を意識することで、それを叶えることに近づくが同時に、自らの薄暗いところにある願い(欲望)を意識することで、ショックを受けてしまうこともあるのではないか。あるいは、その願いにとらわれすぎて、現実的に動けなくなってしまうこともある。だからこそ、彼女は二度とあの老人に会おうとは思わなかったのではないか。

・語り手から見た彼女の表情「ひっそりとしたあきらめのようなもの」と、彼女のセリフ「人はどこまでいっても自分以外の存在にはなれない」から、彼女が現時点では、自分自身の人生を受け止めきれていないことを表していると思う。彼女は一般的な見地から言えば、恵まれて幸福な人生を送っているかもしれないが、彼女自身はそれに満足していない、意味を実感していないのではないか。

・人は自分以外の存在にはなれない、というのは一見悲しいことにも思えるが、自分の人生を引き受けて生きるという意味では希望も感じられる。

・この物語のはじめには様々な伏線がある。先端的な鋭さはないが食べ飽きのしない料理を出す店。受け付けにいる同じことしかしない女性。ルーティンをこなすマネージャー。常にチキン料理を食べる老人。これら店側に共通するものは単調性・繰りかえしの日常である。彼女はその単調性から、自分の願いを意識することによって、違う世界に移行することができたのではないか。つまり、繰り返しでも、単調でもなく、一回しかない人生を主体的に生きるようになった。(彼女自身もこの不思議な出来事を「たぶんとても大事な意味を持つこと」と言っている)だからこそ物語のタイトルが“バースデイ・ガール”、彼女自身の本当の人生が始まった日ということなのではないか。

最後に

 他にも様々な意見がでたのですが、長くなってしまうので割愛します。
村上春樹の小説は難しいですが、短編は長編に比べると分かりやすいようです。
 次回は5月くらいに東京近辺でリアル開催を行いたいと考えているのですが、どうでしょうかね。開催できればいいのですが。

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