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気仙沼 リアス・アーク美術館 常設展示

2012年11月。
夏休みと言うには遅過ぎるが、今年は旅行してないし、クマとどこかに行こうという話になって、石巻〜気仙沼の車の旅に行って来た。

十年以上前、気仙沼の美術館で画家の友人と一緒に展覧会をやったことがあり、その美術館の一部再開の情報を知ったのが、きっかけだった。

その、気仙沼のリアス・アーク美術館には、山内宏泰さんという学芸員がいて、彼に会うということが、この旅の一番の目的だった。

旅の途中で海岸線沿いに見た風景については、とてもここにまとめる自信はないので割愛するとして、彼と会った時のことを書こうと思う。

「未だ非常時の最中です」再会するなりそう切り出した彼は、感情を高ぶらせることなく淡々と、気仙沼の現状を語り始めた。
現在、いわゆる「ガレキ」と呼ばれる気仙沼の被災物を収集し、来年4月にそれを常設展として展示しようとしている彼は、既にマスコミの取材を多く受け、とても話し慣れていた。

「大切にしていた家や物が、『ガレキ』と呼ばれ撤去されていくのを泣く泣く見送る。それが、放射能汚染が、と言われ受け入れを拒否される。もう、たまらんのですよ」


自分の大切なものが、自転車が、ぬいぐるみが、炊飯器が、家が。今まで生活してきた全てのモノが、震災により重油と潮まみれになり、ガレキと呼ばれ撤去され、さらにはその先でゴミ以下の扱いをされる。
それに耐えられないのだ、と。


当事者として、それはガレキではないのだ。
わたしたちの日常の一部だった、大事なモノたちなのだ、と彼は繰り返し訴えていた。同時に、そのように大切なモノたちが、一瞬にして形を変え、奪われていく悲惨さを、自分たちは伝えていかなければならないのだ、と。

気仙沼の未来、一緒に活動する仲間達がいること、震災後、沢山傷ついたこと。同時に想像もつかない他者の善意に触れた事。
彼は中断することなく、流れるように一晩話し続け、私たちはただただ、彼の言葉に耳を傾ける以外、何もできなかった。

途中、私はたまらなくなって、震災の半年前に自ら命を絶ってしまった、共通の友人である画家の話をしてみた。
すると彼は目を伏せ、ちょうど震災時、預かった彼の作品の整理をしていたのだ、と打ち明けた。
彼は早まった。もう少し生きていればきっと、彼の故郷である石巻の役に立とうと今ごろ奮闘していただろう、と。

その時初めて、私は、私の知っている彼に、ようやく再会したような気がした。ずっとこちらの目を見て話していた彼が、その時初めて、私から目をそらせたからかもしれない。

同時に、今はもう、そういう話はすまい、と思った。
今はただ、彼の話に耳を傾けていようと。
ふと目を伏せ、俯き加減に話す彼の仕草は、日常に戻るにはまだ時間がかかるんです、かんべんしてください、と言っていた。

来年4月にオープンするという被災物の常設展は、通常の展示に留まらない、新たな試みがなされるらしい。
まだ展示前の被災物の数々を見せてもらった私たちは、また必ず、見に来ます、と固い握手をして別れた。これまで通り、それぞれの場所で、今できることをやろう、と約束して。

2013年。

私たちは、映画「ジンクス!!!」というオリジナルストーリーの恋愛映画を作った。

韓国から来た留学生が、とてもオクテな日本人の大学生の男女に韓国流恋愛テクを指南をするという、コメディータッチの恋愛映画だ。

最初に映画の依頼を受けたのは、2011年の10月頃だったと思う。

日本中が未だ震災のショックを引きずった最中、ただの恋愛映画にしたくない、という思いがあった。

明るい恋愛映画を観て楽しんで欲しい。
でも願わくば、誰か大切な人を失ったひとたちにも、映画を観た後、少し元気になるような、背中を押せるような物語にしたい――それが、私たちの思いだった。

映画の製作は年をまたぎ、公開は2013年になった。

山内さんに映画の公開を連絡することはなかったけれど――心の中では、彼との約束のその一部でも果たせていたら、と願っていた。

お互いの場所で頑張る、そういう約束だったから。


2021年3月11日
常設展を訪ねることが叶っていないことに、今日、改めて気づいた。
旅を気楽にいける状況ではないけれど、状況が改善したら、近いうちに必ず行こう、と改めて心に誓う。
そして同時に、彼が何故常設展にこだわっていたのか、その思いの深さを知った。いつでも思い出した時にいける場所――そういう場所に展示することこそが、大事なのだと。




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