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天への進入路 永遠の書物ー聖書を語る

前回の記事で聖書を絶対的な人生の土台にすることについて書きました。

今日も聖書について書きたいと思います。

皆さんは聖書を読んだことがありますか?

私の感覚では割と多くの方が一度は聖書に触れ、多少なりとも読んだことがあると思います。

宗教や哲学に興味のある方、意識の高いビジネスマンや政治家の方で聖書を読んで勉強されている方もいると思います。

聖書は人類史上の最大のベストセラーで、過去数千年にわたって読み継がれてきた書物です。しかも二位以下に大差をつけています。

本物、本質でなければ過去数十年に渡って読み続けられることもないと思いますが、聖書は数千年です。もしキリスト教が全て偽りの宗教であったのなら、これだけ長期に渡り、国々を越えて浸透するでしょうか。

また最も多くの言語に翻訳されています。約2800言語くらいです。その内の一つであるパプアニューギニアのクワンガ語の聖書は以前紹介した私の父が翻訳したことになります。
日本でベストセラーになる本でも多くて数か国語にしか翻訳されないのではないでしょうか。その凄さに私も驚きます。

そして聖書は最も迫害されている本にもなります。過去において、聖書は持っているだけで死刑になり、燃やされ、取り上げられてきました。
今でも聖書を読む自由がない国は存在しています。

悪魔は何度も聖書を地上から消し去ろうとしてきました。聖書が無くなれば、神と人との関係を壊すことが出来ると知っているからです。
悪魔が攻撃する物事は神に属する物事である可能性が高いのです。
(トランプ大統領が最近の良い例です)

そして聖書は世界に最も影響を与えた本と言われています。民主主義や各国の法律の元となり、近代文明の土台を築いてきました。

以上がよく言われる聖書の概要的な説明になります。


ここから私の独自の説明をします。

私が多くのクリスチャンと聖書の関係を観察してきてわかることは、聖書はとても個人的な書物です。
今まで多くの人が聖書を読んで感動し、涙し、生きる希望を得、新しいアイデアを受け、許せなかった人を許し、病気が癒され、奇跡を経験する。
そのようになるのを見てきました。

私もそのような経験を何度もしており、聖書とはそのように個人の日々の人生に直接影響を与える生きた力強い本であると思っています。
(そのような経験があまりない方も落胆しないで下さい。私もそのような時もありますし、聖書がリアルな書物にならない期間も長かったです)

神は聖書以外でも語りますが、私の経験上は、聖書を通して最も語ります。また聖書の言葉を使って真理や人間の理解を越えた洞察を与えます。

どういうことかと言うと、神は全てにおいて私たちの意思を尊重されます。
たとえ神があなたに何かを与えたいと望んでいても、私たちの同意や実際的な行動がなければ神は一方的に与えることはしません。

例えば神があなたに何かしらの真理や解決策を語りたいと思っていても、基本的には、それらをあなたの頭に自動的にダウンロードはされません。

そうではなく、神はあなたに何かしらの行動へと導きます。あなたの思いの中の選択肢に「聖書を読む」がある場合は、聖書を読むように優しく導きます。そして聖書の言葉を通してあなたに真理や解決策を語ります。
(時には人やその他の何かを通して導くこともありますが、土台となる方法は聖書です。神の目的は聖書を通してあなたと個人的に親密な愛の関係を築きあげることにあります)

また聖書のことばや、土台となる基本的な真理が頭と心にたくさん蓄えられる前に、神はあなたに個人的な召命についてや、人間の理解を越えた深い洞察、隠された奥義などは例外を除きあまり語りません。

もしそんなことをすれば、人の人生が滅茶苦茶になることを神は知っているからです。神は一つ一つの聖書の知識を人が理解できるように経験する状況を用意し、知恵を得れるよう恵みを与え、人格を整えながら、より深い真理へと導きます。

逆に悪魔はあなたの人生を滅茶苦茶にしたいので、強い誘惑や、脅迫観念を用いて人を導きます。
真理のように思える偽りの知識を伝え、一時的な快楽や成功を与え、その後人生に破滅をもたらします。

悪魔はコントロールすることが好きですが、神は決してコントロールしません。全てにおいてあなたを尊重されます。

悪魔は急いて来ますが、神はいつまでも待ちますし、優しく促すだけです。

決めるのはあなたですよ。

という態度でいつも穏やかに見守っています。

あなたがもし、神を経験し神の導きをより確かなものにしたいのであれば聖書を通して神と交わることをお勧めします。

しかし注意しないといけない事は、聖書が神ではないということです。

聖書は詳しく知っているが、神を知らない人も多いのです。

聖書は神と深く交わる為の進入路なのです。

以上、私の聖書に対する考えを型にはまった言い方で説明すると、

聖書がその原典において、神の霊感による神のことばであり、信仰と行為の完全な規範であることを信じています。

になります。

聖書を土台と据える事で得る安定感は計り知れません。

真理の探究が進めば進むほど、軸となるものがなくては不安定になってきます。

また悪魔は混乱を持ってきて分断をはかります。

神はご自分の民をそれらから守る為に、人を創った時からの記憶と知識を地上に書き留めることにしたのです。

聖書は神と人との物語です。

とは言っても多くの方にとって聖書は内容が難しく、理解できなかったり、理解はしても学問的か宗教的に読んでしまいがちです。

最初の頃は特に、神を深く知る人から聖書を学ぶことをお勧めします。

私も十数年前に神と深く交わる人々と出会ってから人生が大きく変化し、生まれ持った特異性を消すことなく、安定感が出てきました。

驚かれるかもしれませんが、世界には今でもモーセのように、ダビデのように、パウロのように、神と親しく語り、国々を変革するような驚くべき奇跡の道を神と共に歩む人たちがいるのです。

2020年、今が日本の時です。

今日の見出し画像  (田舎で美しいひまわりをパシャリ)








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