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私の目覚めの物語⑥ 大学生編

大学時代は濃かった。
心の振れ幅は上から下までそれまでの人生で一番振れたであろう期間であった。

この期間のことは簡単には書けない。

漫画ワンピースのグランドラインがもし本当にあるのなら、
この時に私は一度ワンピースを目指して仲間と冒険に出たのだと思う。

その航路では普通の生き方をしていては出会えないような人々とたくさん出会った。

常識はそれはど常識ではない。
この時にそれは経験から学んだ。
常識の枠を越えたり、壊したり、
新しい枠を生み出す生き方は簡単に出来ることではない。
不可能ではないが、命を懸けて目指す道であると学んだ。
そして私は神の力と助けが無ければ、人の力では到底不可能のことのように感じた。
いや、私の目指した生き方と立ち向かった常識は特にそうなのかもしれない。

世界は仕掛ける側と仕掛けられる側の二つに分かれる。
ビジネスで成功する為には仕掛ける側にまわる事と学んだ。
ビジネスでは成功しなかったが、仕掛ける側の意図をある程度想定しながら行動することもこの時に学んだ。
政府やメディアも特定の意図をもって仕掛けてくる。
無防備でただ与えられた情報を鵜呑みにする生き方が及ぼすリスクは数年以内に日本人全員が認識する時を迎えるように思う。


さて、私のグランドラインの旅はルフィと同じように力不足を痛感する中で、一度撤退をすることになる。

彼らもその後の三年で覇気を身に着ける修行の期間に入るが、私も霊的世界の存在に目覚め、その法則を学び、霊的な武器の使い方を学ぶ季節に入るようになる。

そして何よりも大切な誰の為に生きるのか。
何の為に生きるのか。
その答えを頭でだけ学ぶのではく、
心からそれを望む生き方へと変えられる季節に入るようになる。

私が大学時代に対峙した敵は霊的な大バビロンであったことが今はわかる。
聖書の最後に書かれているヨハネの黙示録には以下のよう書かれている。


ヨハネの黙示録 17,18章


その額には、意味の秘められた名、「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」という名が記されていた。
私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。

すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。

私は幼い頃からこの霊的な大バビロンが嫌いだったのだろう。
直観的に『俺はこんな大人になるのは嫌だ。』ほぼ全ての大人にそう感じていた。
素晴らしいクリスチャンや素晴らしい牧師先生であっても、それは変わらなかった。(後に初めてこのような人になりたいと感じる人物と出会うがそれは後ほど記事にて。)
もしかしたら大バビロンが聖徒たちとイエスの証人たちの血に酔っていることが嫌だったんだと思う。
俺の血も捧げられ、大バビロンはその血で酔って勝ち誇るのかと。
尊い犠牲と言えばその通りである。
もしそれが私に出来る最善であれば、もしかしたら受け入れる覚悟は今はあるかもしれない。
しかしどうやら預言は今この時にも先に進み成就していっているようである。

またやりたい事も、やりたい仕事も見つからなかった。
だから就職活動もしなかった。
非常識な生き方をして苦労はたくさんした。
きっと迷惑をかけた人もいるだろう。
バビロンの経済システムに入ることが本能的に嫌だったし、神も私をその世界から取り出す計画であったのだと思う。

そして預言には続きがある。


彼らは遠く離れて立ち、彼女の苦しみに恐れをなして、「わざわいだ、わざわいだ、大きな都、力強い都バビロンよ。あなたのさばきは一瞬にしてなされた」と言う。
 また、地の商人たちは彼女のことで泣き悲しむ。彼らの商品を買う者が、もはやだれもいないからである。
これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみに恐れをなして、遠く離れて立ち、泣き悲しんで言う。
あれほどの富が、一瞬にして荒廃に帰してしまった。」
 また、すべての船長、その場所を航海するすべての者たち、水夫たち、海で働く者たちもみな、遠く離れて立ち、
彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫んだ。「わざわいだ、わざわいだ、大きな都よ。海に船を持つ者たちはみな、ここでその繁栄から富を得ていたのに、その都が一瞬にして荒れ果ててしまうとは。」
「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」




この聖書の預言が成就することは多くのクリスチャンは信じているだろう。
未来なのか、過去なのか、今現在成就していっているのかは色々な考えがあるだろうし、神以外は本当の答えはわからないだろう。

しかし私の信仰はこの預言の成就の時代を見ているようである。
そして私の心は幼い頃からこの預言の成就の時代を感じていたようである。
大学時代はその信仰と心が目覚め始めた時だったのかもしれない。

今の時代こそ、多くの過去の義人や聖徒が生きたくても生きることの出来なかった聖書の偉大な預言の成就する時代であると私は信じています。

常識やパラダイムが一日で変わることもあり得るのです。
その時に本当に忠実な者になっていたいと思います。

日本が目覚める時です!!

応援よろしくお願いします。