青春という名の荒野を進め。
さっそくワタシ的ヘビロテ曲に仲間入りした、「錆びたコンパス」。
聴いてると、すごく元気が出る、励まされる曲なんです…!
歌詞がすごく叙情的で素敵だし、
冒頭と最後に入る山崎さんのモノローグが、その情緒をより引き立てているなあ、と思います。
その最初のモノローグで語られるのが、歌詞中にもあるこんな一節。
どれくらい冒険者たちの 道なき道を探したのか?
今 僕は最初の旅 青春の荒野よ
この「青春の荒野」という表現が、すごく引っかかったんですよね。
「青春」と「荒野」という言葉の取り合わせに、意外性があって。
あまり普段は共存しなさそうな言葉だけど、それでもこうやって歌詞になってみると、なんだかしっくりくる感じがする。
青春というと、「甘酸っぱさ」や「輝き」「煌めき」、
どことなくポップなイメージが想起されますが、
もちろん、多感な青春時代はそんなに明るい、楽しいことばかりではない。
厳しいこと、辛いこと、苦しいこと。
そんなことだっていくらでもあるだろう。
それは、芸能という厳しい世界ではもちろんのことだけど、
別にそこに限らずとも、日々の学校生活、日常を生きる中で、苦しい瞬間は、きっとたくさんある。
部活でなかなか勝てない。人間関係で泥沼に入り込んでしまった。
自分に自信が持てない。生きている意味が見出せない。
そんな日々の中で、土砂降りの雨を振り切るように、
苦しさにひたすら背を向けて生きるという選択肢もあるかもしれない。
別に、歩ける道は荒野だけではないのだから。
歩くなら、荒涼とした原野よりも、穏やかな平原のほうが、きっと楽だ。
それでも険しい荒野を歩こうとするのは、
道なき道を抜けたその先に、きっと美しい景色がある。
そう信じている、信じたいからなのではないかと思います。
好奇心という方位磁針の指すままに、自分自身の可能性を追いかける。
その可能性が、思う形で花開く人は、ほんの一握りかもしれない。
でも、旅路の果てに、たとえ「約束の地」に辿り着かずとも、
最後まで足を止めなかった、歩を進めた過程そのものも、未来を照らす糧に、きっとなる。
行き倒れるなら夢の途中がいい
帰ろうとしながら死にたくはない
力が尽きて気を失い、
道の上で息が絶えるならいいさ
夢の途中で力尽きるなら本望。そうかもしれない。
ただ、そうだとしても、どうか、行き倒れずに踏破してほしい、
そう思ってしまう自分もいて。
地平線の先は、果てしなく遠くに感じるかもしれないけど、
なんとかそこまで、どうにか辿り着いてほしい。
夢を叶えられる人は、一人でも多いにこしたことはないから。
今も険しい旅の途上にいる人に、心からの尊敬を送りつつ、
私自身も、もう青春といえる年齢はとうに過ぎてしまったけれど、それでもやっぱりまだ「旅の途中」。
自分自身の歩みもまだまだ進めていきたいし、
同じように山を、坂道を登っている人にも、少しでもエールを送れる存在でもありたい。
そんなことを思いながら、この歌を聴いています。
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