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夢中になれること、本気になれること。


先日の東大王、鈴木光さんとジャスコ林さんの卒業回で、
チームキャプテン鶴崎さんが二人に贈った言葉が、すごく印象に残っています。

クイズは混沌の競技だと思っていて。
あなた方がやった対策も、正直意味が分からない。
たとえば、年号を言ったらその雑学を言うとか、
地元の人しか知らないようなお祭りを当てるとか、
地球の画像で世界遺産の名前を当てるとか、
そんなものは今後の人生できっともう一度も役に立たない。

それでもなんでやってこれたのかというと、その混沌としたクイズ自体を、愛していたからであろうと思っていて。
その愛は、やめても消えることがないと確信しています。

文字にすると、幾分キツい感じにも見えちゃいますが、
鶴崎さんからの、愛にあふれた二人へのエールでした。

でも、確かに言う通りなんですよね。
日本中にある有象無象の祭りを調べて、その特徴を覚えたり、
世界中にある世界遺産の場所と、外観と、特徴を網羅したり、
東大王で戦っていく上では必須の知識だったけど、
一度番組の外に出てしまえば、教養のひとつ、いや、教養と言えるかどうかすらギリギリのニッチな知識にしかならないわけです。

もちろんこれはひとつの競技として、そこに勝つために知識を蓄えるというのが第一で、
そんな姿をして某アフロのおじさんは俗悪だの日本没落だの言ってて、それはちょっと黙っとけって感じなんですが、
そんなことを言ったら、足で球体を自由に扱える技術だって、棒を振って小さな球体を遠くに飛ばせる技術だって、日常の場面で直接「役に立つ」ことなんてありますか?そんなこと誰も気にしないし、それをして俗悪なんて誰も言わないですよね?!

……すみません、取り乱しました。ついカッとなってしまった。

話を戻して、それでもなおそういったことに全力を注ごう、というのは、
もちろんテレビだから、というのはあるにせよ、
やっぱり鶴崎さんの言った通り、この「クイズ」という競技を愛し、本気で、夢中になっていたからなんだろうなあ、と思います。

正直、東大王で活躍していくために、どのくらいの知識量を日々蓄えないといけないんだろう、と考えると、本当に気が遠くなる思いがします。
まして光さんなんかは、大学からクイズを始めたわけで、本当にこの4年間で、しかも司法試験の勉強と両立しながら、あれだけの知識を積み重ねてきた。
一体どれほどまでの努力をしたのだろうと、
つくづくリスペクトの気持ちがやみません。

東大王に限らず、アイドルの世界や、アーティスト、舞台俳優さんなど、
様々な方のインタビューを最近またよく読むようになったのですが、
第一線で活躍されている方は、例外なく皆、ものすごく努力をされているのだなあ、というのを、つくづく痛感するようになりました。

普段私たちが何気なく見ているあのステージや、あの歌唱シーン、あのバラエティ番組にも、
もっとうまくなりたい、もっとよいものを届けたい、そんな思いと努力が詰まっているのだなあ。
そんなことに思いを馳せながら、コンテンツを見ることが増えました。

翻って。
自分自身のことを考えると、
それだけ努力したり、夢中になったり、本気で取り組んでいることが、
本当にないのかもしれないなあ、と、情けない思いになることが、多くあります。

日々、限界を出せているとはとても思えないんですよね。

できることしかしていない。
これができるようになった、これが成長だ、そんなことを実感する場面が、日常にもほとんどない。

もちろん、仕事の性質も全然違うから、一概に比較なんてできませんが、
それでも、日々の仕事の中で、
これってどうやったらもっと良くなるかな?
もっと目に見える成果につながるにはどうしたらいいだろう?
そんなことを意識して、行動につなげられる部分は、いくらでもあると思うんです。
実際、それが仕事上の成果・結果にもつながってくるんでしょうし。

やればもっとできるはず。成果も出せるはず。
そんな中で、こんなもんでいっか、まあこのくらいでしょう。
そうやって、安パイなところに落ち着いている自分に気づいてしまうと、無性に腹が立ってしまうし、
そんなところを目指してたわけじゃないよね?!っても思う。

でも、日々暮らしていると、どうしても日常の勢いの早さに流されてしまって、なかなかそこまでの意識を、毎秒毎秒持ち続けるのは正直難しい。

だからこそ、こうやってエンタメの世界にときどき触れて、
自分に喝を入れさせてもらってるのかもしれません。

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