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生業は「生きる業」。

Twitterを眺めていたら、ふと目に入ったこんなツイート。

すぐそばには豊かな自然がある、
大地の恵みをいくらでも享受できそうなものなのに、
口にするのは、遠い外国から運ばれてきた冷凍品。
なんだかすっごい皮肉だなあ、と思いつつ、
こういう未来を、「遠いどこかのお話」として客観視している場合ではないのかもしれない、とも思ってしまいます。

3.11、コロナ、何か「尋常ならざること」が起こるたびに、スーパーの棚は空になり、お札はただの紙切れになる。
ひとたび電気が止まれば、もはや「できること」を探す方が難しい。
そんな生活を当たり前のように送っていて、
それが「当たり前」ではないことを薄々自覚していても、
特に何をするでもなく、のうのうと生活してしまっているし、
いざ「そのとき」が起きたら、きっと私も何もできず、立ちすくんでしまうのだろうなあ…。

円高、物価高でいろいろなものを気軽に手に取ることが難しくなり、
かたや外国人観光客が「日本は安い」と爆買いしていく。
冒頭のトンガのように、「かろうじて買える安価なもの」しか手に取れなくなる未来は、「いつか起こる」どころか、もはや現在進行形で起きているといっても、決して過言ではない。
そんなときに、もちろんマクロレベルで経済を強くしていくことも大事だけれど、それはあまりに手触りのない、大きな世界の話だから、
まず自分の身の回りでできることとすると、
生きていくために必要なこと、その術を、ひとつでも自分の手に届くところに持っておくことかなあ、と思います。
すべてを自分自身ができるようになることは難しくとも、
何らかアクセスできる、そんな環境とか、人間関係とか、そういうところに自分の身を置いておく。

「生業」とは、書いて字の如く「生きる業」なわけですが、
自分自身、今は「金を稼ぐ業」は持っていても、本当の意味で「生きる業」はなかなか持てていないし、
今これだけ自然豊かな場所に住んでいて、
受けられうる恩恵、生み出しうる機会を、もっと大事にしないとなあ、と改めて痛感させられます。

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