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「神は細部に宿る」から。

今月21日に開幕予定の「レ・ミゼラブル」。

先週のNHK「うたコン」で、今季から新たにエポニーヌを演じる生田絵梨花さんが「オン・マイ・オウン」を披露していたのですが、
その放送後に更新されたTwitterの投稿が、けっこう印象的で。

後で歌唱シーンも見返していて気づいたのですが、
マイクを持つ手も心なしか震えている気がして。


正直、生田さんほどの人となれば、
もう怖いものなんて早々ないんじゃないかと思ってました。
乃木坂としても、一ミュージカル俳優としても、
いくらだって大きな舞台は経験しているし、
役が変わるといっても、もうレミゼの舞台は複数回経験している。

その人が、本番ではない、まだ開幕前の歌番組で一曲披露するだけでも、
半泣きになるくらい緊張し、プレッシャーと闘いながら歌っている。

この本番終わりの一瞬の表情から、
これから私達が帝劇で見ることになる一つ一つのステージが、
どれほどの重みのある、どれほどの人の強い想いのこもったステージなのか、ということが、改めて伝わってきた気がしました。


一方で、それほどのプレッシャーを自分の中に背負い込む、
そこまでの負荷を自分に課すのは何故なのだろう?と、
少し不思議に思ってしまった自分もいたんですよね。

もちろん、30年以上の歴史が詰まった舞台だから、
見る側の目も肥えているし、歴代の錚々たる役者と当然比較もされる。
そんな重圧があるだろうことは想像に難くない。

でも、じゃあその一ステージが仮にイマイチだったからといって、
以後そのお客さんが、帝劇に足を運ぶのをやめるか?と言われたら、おそらくそんなことはないと思うし、
自分を追い込みすぎて、自分で自分を押し潰してしまうんじゃないか?と、
素人目にはかえって不安にも見えてしまいます。


でも、こうやって一見過剰に見えるほど自分をストイックに追い込んで、
細部に至るまで妥協せずに作品を作り込んでいくからこそ、
きっとあれだけの感動を生む、素晴らしい作品ができるんですよね。

正直、そうやってこだわっている一音の差、表現の微妙な違いは、
私には違いとして認識できるものではないと思います。
そこをこだわらずとも、きっと満足して帰ってくれるお客さんは多い。

でも、一握りの目利きの観客には、その違いも伝わってしまうのだろうし、
たぶんその「目利き」の割合は、他の劇場、他の作品と比べても多いはず。
そしてなにより、そこまで修練を重ねて舞台に上がっている、という過程が、演者の人にとっては大きいものなのかもしれない、とも感じました。


同じ土俵に並べて話すのがおこがましいくらい、天と地ほどのレベル差はありますが、実際自分自身の仕事の中でも、
「ここまで細かいところ気にします…?」っていう細部の詰めの差が、
本番とか、実際に形になったときのクオリティの差として出てくる、みたいなことも、まあ一度や二度でなく身に覚えがある話で。

ぶっちゃけ、多少詰めが甘くたって、その場はどうにかなっちゃうんです。
そこまで痺れるような仕事の場は、正直経験したことがない。

でも、そこまで直接的な厳しさが求められる場でなかったとしても、
その細部に宿るクオリティの差が、後々自分に回ってくるチャンスの大きさや、次の仕事につながる確率などをきっと左右していたのだろうと考えると、今更ながらゾッとしてしまいます。

「神は細部に宿る」から。
既に逃してしまった、自ら手放してしまったものは大きいかもしれない。
けれど、過去から学び、行動を変えるのに遅すぎることはないと信じて。
日々、心していかないとなあ、と痛感させられます…。

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