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この連休、本当に「何もしなかった」のか?

久しぶりに別の方のnoteを読んでてインスパイアされたので、今日はそのテーマで書いてみようと思います。

私もこの年末年始はなんにもない日々を過ごして、
(そしてこれは「いつも通り」の年末年始だったりする)
いつもだったらその過ごし方を激しく悔いてしまいそうなところ、
こんなご時勢なのもあって、心穏やかに過ごせた、というのは
一昨日も書いたとおりです。

でも、改めて思ったんです。
「この休みは、本当に何もしなかった休みだったのか?」


この休み期間中にやったことというと、

おいしいものをたくさん食べた。
家族とたくさん話した。
たくさん寝た。
掃除も少し進んだ。

ここまで書いて、
「やっぱり特別なことは何もしてないなー」と一瞬思ったのですが、
改めて思ったんです。
本当に、本当に「特別なこと」は、なにひとつしてないのか?

もう一度よく考えると、
全然そんなことないなーと。


普段一人暮らしでそこまで贅沢できない生活をしていると、
もちろん外食することはあっても、
そんなに「贅沢!」って思えるような食事ができるわけじゃない。

実家で過ごす日数も年々減ってきてる中で、
家族と「なにげない会話」をする機会なんて、そうそうあるもんじゃない。

普段あれこれしてると、ついつい睡眠時間も短くなっちゃって、
時間を気にせずゆっくり寝れる時間も、実は貴重だったりする。
(ただこれはいつもの休日でも一緒だなあ。。。笑)

こう見ると、
なんとなく「何もしてない」ように感じてしまうけど、
実はそんなことなくて、
かえっていつもはできないことをちゃんとできてる時間になってるな、と
振り返ってみると思うのです。

(そして、今このタイミングで自分がそれに気づけたのは、
くしくもこういう社会情勢で、
ただでさえ減っていた帰省の頻度がさらに少なくなった
=実家で家族と過ごす時間が、いよいよ当たり前のものでなくなってきた、
ということを痛感し始めた、というのも大きいかもしれません)


充実した生活、充実した休暇、というと、
どこか遠くに出かける、とか
いろんな人と会って話す、とか
視点を外に向けて、アクティブに動くような行動が想起されやすいけれど、
必ずしもそうではないような気がします。

何かといろいろ動き回っていたほうが充実しているように感じてしまいがちだけれど、
実は、こうやって「何もしてない(ように思える)時間」のほうが
かえって貴重だったりするんじゃないか。

そう考えると、
意図的に「空白=何もしない(ように感じる)時間」をつくりだすほうが
圧倒的に難しいし、
それで「心豊かに過ごせる時間」をつくれるなら、
それはすごく贅沢な時間になるんじゃないかと思います。


無理して「特別なこと」をしなくてもいい。
今回は、おやすみ(=非日常)の話でしたが、
これはおそらく日常でも一緒で。

時間を贅沢に過ごせているかは、
移動した距離とか、会った人の数とか、スケジュールの詰まり具合とか、
そういうことでは必ずしも決まらない。

そんなことも、日々の暮らしを豊かにするヒントなんだと思います。


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