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日陰に咲く花も美しいから。

昨日に続いて、「四月は君の嘘」を観ていて感じた話を。

レミゼを1シーズンで複数回見るようになってから、
アンサンブルの方の表情や立ち振舞いにも目が行くようになったのですが、
今回の舞台も、アンサンブルキャストが多数出演されていたので、
その動きにも時折目を凝らしながら観劇していました。

前日に乃木坂のライブを見ていたこともあって、
不思議と、そんなバイプレイヤーたちの姿にも、ちょっと心を打たれるものがあって。

ミュージカルにはプリンシパルとアンサンブルがいて、
乃木坂にも選抜とアンダーがあって、
わかりやすく脚光を浴びられるメンバーは限られている。
全員が同じ板の上で歌っていても、浴びる視線の量、もらえる歌割りは明らかに異なっていて、
最初から最後まで、言葉を選ばずに言えば「その他大勢」の役割を全うするほかない人もいる。

でも、ステージ上でのあの歌が、音圧が、ハーモニーが成り立つのは、
そういう「その他大勢」の人たちが音を重ねてくれているからだというのも間違いなくて。
確かに、一人がちょっとサボったくらいでは、正直目に見える大きな変化までは起きないのかもしれないけれど、
そんな小さな「手抜き」が重なれば、ハーモニーはたちまち小さく、弱くなってしまう。
その努力が正当に報われるかはわからないけれど、良いステージをつくるためには、メインキャストと同じくらい、欠かせない役割がそこにはある。


常に矢面に立つ、「0番」を背負う人にも、もちろん抱えるものはたくさんたくさんあるだろうけれど、
ステージの隅に立ち続ける人たちにも、彼ら、彼女らにしかわからない苦しみが、きっとあるはずで。
日向に立てば、称賛であれ批判であれ、何かしらの反応が、声が、自分の元に返ってくるけれど、
日陰で咲く花には、一筋の風すらも吹かないかもしれない。

それでも懸命に、その役割を全うしようとしている人のことも、
必ず誰かがその姿を見ているはずだし、
そんな人たちが、もっともっと報われるように、声を届け続けていかなければいけないのだなあ、と思います。

そしてさらに言えば、板の上でスポットライトを浴びる彼ら・彼女らを、
スポットライトを浴びないステージ裏で懸命に支えている多くのスタッフさん・裏方さんの存在も、またその舞台をつくるためには必要不可欠で。
光を浴びる彼ら・彼女らの側には、必ずその光を当てている人たちがいる。
光源が消えれば、どんなに輝かしいスターでも、自分だけでは光れない。

そんな人たちに注目して見ると、同じ舞台、ステージが少し違って見えるのだろうし、
自分自身がもっと楽しむ、おもしろがるためにも、そういった視点を忘れずに、ひとつひとつのステージを見つめ続けていきたいなあ。そんなふうに思います。

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