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今日のYOGA。「立秋:雨の音と無常/愛する人/蝉時雨カナカナ」

昨年の11月からお休みしていた
「YOGA日記」を再開いたします。

出逢ってから8年目のヨガ。
日々続ける中で得た
気づきをつらつらと綴る日記です。

今回からは
二十四節気、七十二候にのせて
お届けしてまいります。


✴︎

立秋・りっしゅう

【寒蝉鳴・ひぐらしなく】
8月13日~8月17日頃

<8月13日>

雨の音で目が覚めた。

この頃の雨はお盆を
ひっくり返したかのように勢い。

寝ていても起きていても
驚かされる。


こうした激しい雨が
季節をおしすすめていくのだろうなと
思いながらマットに座った。

いつも通りに、さらさらと
一時間のヨガは終わる。


そういえば、
きのう観た映画『バービー』の
一つの大きなテーマが
「無常」だった。

(バービー人形の実写映画。
きらきら可愛い「バービー」と
仏教の核となるような教え「無常」の関係、
気になった方はぜひ作品をご覧くださいね。)


わたしたちの生きる
「無常」の世界

「夏をもっと味わいたい」と思っていても
季節は着々と秋へと向かっていく

それも、これまでの秋と
同じものがやってくるのでもない。


そのようなことを思うと
ヨガの中で大切と教えられている
「今、ここ」への意識

肝に銘じ日々を過ごしたいなと思う。

「バービー」の住む
変化のない
(年齢も変わらない、
ものが古くなることのない)
「バービーランド」でなく

変化のある
「人間の世界(リアルワールド)」を
生きることが定のようなので。




<8月14日>

「あ〜、これもできないのか。」
と少々悲しくなることを見つけてしまった。

前回、正座のしすぎで
ひざを痛めてしまったことを書いたと思う。

そのことで
ヨガの基本の座り姿勢
「スカーサナ」ができなくなって
しまったことも。

これに加えて
今日見つけてしまったのは
「チャイルドポーズ(子どものポーズ)」という

正座におおいかぶさるように
上半身を前に倒す

ヨガの定番のお休みのポーズ。

これもひざをかなり曲げるので
ちっとも「お休み」にならないことに
気がついてしまった。

悲しい。

早くひざをよくして
制限なくヨガしたいなと思いつつも

変化は受け入れながら
生きていかない
といけないことも
ひしひしと感じる。




<8月15日>

気圧のせいだろうか。

マットに座った時から
ずっと「不安、嫌悪」といった
ネガティブな感情に支配されていた。

いつもは晴れやかになる
終盤においても。

おそらく
「ひざをこれ以上痛めないように動こう」
と不安を抱えながらポーズを行なっていく中で

連鎖するように
過去の心地よくない感情が
引き出されていった
のだと思う。


ところが最後の最後に
全部がひっくり返る瞬間が訪れた。

ヨガを終える時にいつも儀式のように
手を胸の前で合掌して座り

日頃の感謝を心に思い浮かべている。


そこで祖母の存在を感じた瞬間
ふわっと光が射したように感じたのだ。

ちょうどオセロで黒一色だった盤が
はたと真っ白に変わったかのように。


祖母のことは普段から
愛してやまない大切!な存在と
感じてはいたけれど

ここまで自分の中での
彼女に対する愛情が深いことには
正直驚かされた。



嫌なこと、辛いこと、悲しいことしか
たとえなかったとしても

祖母を感じるだけでわたしは
大げさでなく生きていけるのだと
知ることができたみたいで。


同時に「愛」の力の
偉大さにも気づかされる。

後ろ向きなことを
瞬く間に包み込んでさらっていく
のだ。


愛する人、愛するものと一緒に
これからも前向きに暮らしていきたい。



隣の部屋へ行くと
タオルケットから出た足を
ひょこひょこ動かしながら

祖母は気持ちよさそうに
眠っていた。




<8月16日>

家族が朝寝坊の日。

蝉時雨だけが
しっとり広がる。

夏の初めの頃から
聴こえていたミーンミンに
初秋らしい少し高いカナカナも加わり
響き渡る。

今日は集中できそうな気がする。


と思ったのも束の間
頭が思考であふれ
しまいにはぶつぶつ独り言を
言い始めていた。

せっかくヨガに没頭できる
環境が整っていたのに

どうしてこのような時間の使い方を
してしまったのだろう


かえりみたけれど
答えは単純。


思考の整理が「今のわたし」の
したいこと
だったのだ。

身体を整えることよりも
頭の中の整理をしたかった、
それだけだった。



<8月17日>

お茶のお稽古へ行く前
少しでもヨガをしたいので
早起きした。

陽射しが夏へと
逆戻りしたみたいに力強く

身体をちょっと動かしただけでも暑い。

秋の気配がただよい始めた頃に
また夏の暑さが戻ってくる

こうして季節は
すすんで行くのだったなと

自分の中でずっと前からわかっていたことを
あらためてたしかめているみたいだった。



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