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今日のYOGA。「うらやましくもなるけれど/理想でない自分」

1/16
10:00。

ZOOMでクラスに参加した。

生徒さんのその日の体調をもとに
構成を考えてくださる先生。

今日はわたしが
「つまり」が気になると言ったことを
取り入れてくださった。

先生ご自身も「つまり」があったようで、
新年だからこそ、それは流しておきましょうと
いうことでクラスが始まった。


そもそも、「つまり」は何かというと
身体の流れていない感覚のことで
それを勝手にそう呼んでいる。

肩こりのひどい肩のあの感覚が
一番一般的かもしれない。

伸ばしても固くて、
血流が滞っていそうに感じる
あの感覚だ。

実際に、先生の指導のもと
ポーズをとっていくと

左の肩甲骨と右の脇腹が驚くほどに
つまっていた。

少し伸ばしただけでも痛みがあるくらいに。

ここ最近「緊張」をよく感じていたので、
その時、呼吸が浅くなり、
身体に力が入っていたのかもしれない。

緊張すると
左の肩甲骨と右の脇腹に力が入るのは
長年のクセなのだなと思う。

それをヨガで癒してあげることが
できてよかった。


そういえば、クラスの中で
先生が「つまりを感じない人もいるのよね」と
おっしゃっていた。

緊張とかストレスを感じた時に
落ち着いていられるタイプの人は
この「つまり」を感じにくいのかもしれない。

それをその場で流すことができて
精神的にもため込むことがなくて。


そういう人に対して
うらやましくもなるけれど

嫉妬したところですぐに
そうなれるわけでもないので

「つまり」を感じる今の自分とちゃんと
向き合っていきたいな
と思った。




21:30。

「心ここにあらず」のままヨガをしていた。

考え事に終始、意識をもっていかれていた
一時間だった。

普段のヨガの時のように、
身体の状態を確認しながら
ポーズをとっていたというよりは

過去や未来に思考が行ったり来たりしている間に
身体は別のところで動いている
という感覚だった。


ヨガを始めた当初だったら、
一時間を「無駄にしてしまった」と
捉えて後悔していたかもしれないけれど

「このわたしも、わたしだな」と
理想でない自分を自然に受け入れている

自分がそこにはいた。


「心ここにあらず」の状態は
ポーズの時ケガに繋がってしまうこともあるし

心と身体がバラバラであることは
ほんとうの意味で「ヨガ」ではないので
いいとは言えないけれど


その状態の自分を許せたことは
それよりも今の自分にとって
大切なことだったのかもしれない。

どんな自分も自分自身で
受け入れられたこと
に救われた夜だった。


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