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今日のYOGA。「寒露:人生の時間/仏様のような真顔/ヨガと茶道、サマディと和敬清寂」

昨年の11月からお休みしていた

「YOGA日記」を再開いたします。


出逢ってから8年目のヨガ。
日々続ける中で得た
気づきをつらつらと綴る日記です。

今回からは
二十四節気、七十二候にのせて
お届けしてまいります。


✴︎

寒露・かんろ

【蟋蟀在戸・きりぎりすとにあり】
「10月18日〜10月23日頃」


<10月18日>

今朝も旅先でヨガを。

貴重な旅の時間を使っている。

そんな意識からか
動きが丁寧になる。

ほんとうは日常だって
「貴重な」人生の時間


ついそのことを忘れ
必要のないことに
時間を使ってしまうことあるよな

とふりかえる。


そろそろ
来年の足音が聞こえてくる頃。

「いらない時間」を
来年はもっと減らしたい
なということが
頭に浮かぶ。

とくに無意識に
好きでない事柄のことを考え、
感情を動かしてしまう時間を。


時間は有限で
どの一分も、一秒も
とても貴重。

心に刻んで
のこり少なくなってきた
今年も過ごしたい。

そのことがよりよい
2024年につながることを願って。




<10月19日>

お茶のお稽古の前。

この頃ヨガはすっかり
その準備になっている。

茶歴数十年、
母よりも歳上のお姉様方に囲まれて
するお稽古。

人一倍動けるように、
学べるように

姿勢を整えてから出かけることは
新参者のわたしには欠かせないみたいだ。




<10月20日>

「手を後ろで組んだ体側を伸ばすポーズ/
バッダ パールシュヴァコナーサナ」

をした時のこと。

いつもは、
腕をからめている脚に
意識が向くのだけれど

今日は後ろで伸びている脚と
足裏に意識が向いた。

そのことで
ポーズがすごく安定する。

ふだん重たく感じられる上半身が
両脚で身体を支えている心強さから
軽くなった気がしたからだろう。


肩周りの伸びと
太ももの強化が
同時にでき気に入っているこのポーズ。

一段、深みが増したことが
嬉しい。



<10月21日>

祖母をデイサービスに送り出す前
15分だけヨガを。

ほんとうはもう少し長く
ヨガをする予定だった。


けれど目覚めた祖母がわたしを
隣に呼ぶので

つい一緒に布団にもぐり
その可愛さに浸りたくなった。

15分祖母を眺め
15分ヨガを。

そして、朝食をつくり
一緒に食べ
送り出す。

日常の貴重な時間を
ちゃんと生きられた
気がした
朝だった。




<10月22日>

昨日短かった分
今日はできるだけ時間をかけ
身体を癒そうとポーズをとり始める。

一時間半ほど
ヨガに専念できただろうか。


全身がほぐれると
それにつられ

最後の最後ではあるけれど
顔や頭の力みも抜ける。

無理につくった笑顔のあとも
我慢でこわばらせた頭のひずみも


いつの間にか
どこかへ飛んでいってしまったような
感覚になる。


そして、
そこでできた余白に
真顔でいたっていいし、
時にむすっとしたっていいし、
「いや」と言ったっていい


と気づかされる。


そこでふと浮かんだのが
仏様のお顔。

特別に笑われていたり、
愛想のいい表情をされたりしている
わけではないけれど

拝見した際には
穏やかさを覚える。


人間だって
本来はあの飾らない顔が
スタンダード
なのかもしれない。

それを誰かや何かに合わせて
無理やり表情をつくろうとするから

力んで、疲れて、うずくまって
しまうのだろう。


ヨガの最終目標
「サマディ(悟り)」


日々の暮らし
身体、呼吸が整い

意識が研ぎ澄まされた中で
たどり着くといわれる
その境地。

そこへ至った際には
きっとわたしの顔でも

仏様のような
清らかなものに
なっているのだろうなと

淡い期待を抱きながら
(もうこの時点で
サマディから離れているようですが。)

今日のヨガを終える。


同時に、マットをおりてからも
修行は続く。

うそ偽りのない
表情を心がけよう
と思った。




<10月23日>

そういえば
ヨガと茶道はすごく似ている。

無駄な動きはとことん省かれ
「今ここ」を大切にする


茶道を始めたのは
両者の共通点がとても面白いと感じたからだった。


そして、驚くべきことに
最終目標も同じで。

ヨガは「サマディ(悟り)」、
茶道は「和敬清寂(わけいせいじゃく)」


言葉は違えど
目指す先が同じ「道」。


幸運にも両者の道での
歩みをすすめているから

日々の学びがとても多い。

さらに、
目標が明確だから
迷い少なく、暮らしを営むことが
できているのかもしれない。

そのありがたみに浸りながら
今日もポーズに励む。

ちなみに
「和敬清寂」。

和=調和
敬=尊敬、敬意
清=清らかさ
寂=煩悩を離れ、悟りに達すること

このような意味合いが
あるようです。


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