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今日のYOGA。「慈悲深さを持つ/言い訳する自分」

4/5
8:00。

「クセ」と再会した今日。

ちょっと猫背になっている時、
肩が上がっている時、
腰が力んでいる時、

「修正しなくちゃ!」と
慌てる自分とまた出会ったのだ。

また、と書いたのは以前にも
これと出会っているため。

その時にも
これを手放したいなと思った
記憶がある。

というのも、
これらのことはポーズをとっている中で
ゆるりと自然に改善していくものなのに、

気づいた時に慌てて
改善を試みると

「自分がまちがっている」かのように
錯覚
してしまうのだ。


こうして、
小さな「誤ち」を感じることを
積み重ねていくと

気づかぬうちに、心を傷つけ
自信を削いでしまう

ということにある時
気がついた。

姿勢が悪くても、
肩が耳につきそうなほど上がっていても、
腰がカチカチに力んでいても、

それが「今の自分」だと
ありのままを受け入れられたら

ずいぶんと自分に
優しくいられるのになと思った。
(甘やかすこととはまたちがって。)

こちらの方が
理想的な生き方に近いなとも。


こうして自分を正すことを続けていると
人に対してもそうするクセがついてしまい

人間関係もぎくしゃくさせてしまいそうなので

やはり、ありのままを受け入れる
慈悲深さ
はいつも持っていたいなと思う。


4/6
9:15。

季節の変わり目。

体調がどうも低空飛行に
なってしまうようで

疲れを取り切る余力
この頃なかったことに気づかされる。

ポーズを取り始めると
身体のあちこちに
ずいぶん疲れが溜まっているのだ。


一時間半、ゆっくり
その身体を動かしていく。

それでも、活気に溢れている時のように
疲れを「追い出す」ことが難しい。

疲れを癒すことも
エネルギーが必要
なのだなと
つくづく感じる。

そして、回復に必要な「余力」を持ちつつ
日々を過ごすことの大切さを痛感した今日だった。



4/7
9:35。

そういえば、
「快」の感情も
疲れにつながると聞いたことがある。

感情が動くし、
体力も使う。

心穏やかでいることが
心身にとっては優しいことなのだと。


そうは言っても、
歓びも愉しみもたくさん
味わいたいこの人生。

そのためにも、
心穏やかな状態に「戻す」時間
つくることは必要だなと

この頃溜め込んでいた疲れに思わされた。

それには、マットひとつでできる
ヨガがわたしには向いているなとも。



4/8
6:30。

先日に、引き続きクセと出会う。

「周りのせい」にするそれだ。

周りで物音がするから、
近くに人がいるから
集中できない。

と言い訳をする自分にはっとした。

周りのせいにすることは
楽だけれど、

解決策を見出せないことが
ほとんどなので

自分のせいにしてしまう方が
結局は自分の「理想通り」を実現できる。と

頭でわかっているものの

反射的に
周りの誰かや環境のせいに

してしまうのだった。


日々成長。

少しずつこうした
厄介なクセを手放し

生きてゆきたいな、
人生の階段をのぼっていきたいなと思った。



4/9
8:55。

「軸」を中心に立てていない
ことをふいに感じた今日。

なんとなく
心まで落ち着かない。


頭から足まで
一本通る「軸」

意識できている時には

楽に立つことができる上に
心には余裕を感じられる。


ところがこの頃は、
左肩で全身を支えているような
不自然な身体の使い方を
していたようなのだ。

痛みを感じるほどに
左肩がつっぱっていて

ポーズをとっている時にも
グラグラとする。


基本の立ち姿勢が
安定しないのだから、

ポーズが安定しないのは当然だなと
不安定な立ち姿勢に思わされる。

もちろん座り姿勢も安定しなくて。


日々の積み重ねでこうなっているのだから
一気に姿勢を直そうと思わなかったこと、

この部分はひとつの大きな成長だった。


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