今日のYOGA。「鏡のせい/新年度を迎える前に」

3/1
7:00。

ポーズがぐらついた。
「鏡」のせいだった。

着物を着るために
全身鏡を部屋に置くようになった
この頃。

そこへポーズをとる自分がときおり映る。

普段はこれを気にせずヨガをしていた。
(通っていたヨガスタジオにも鏡はなかった。)

心地のいいだけ
身体を伸ばし、

心や身体の状態を
内側からみること

好きだからだ。


ところが今日は
格好つけたくなった。

画像1

綺麗にダンサーのポーズをとる
自分の姿が見たくなり
鏡を見つめ脚をぐっと上げた。

そうしたら、見事によろけた。

そして、気がついた。

自分がどう映るかを気にすること
人の視線を意識すること

自分(心も身体も思考も)を
惑わせるということに。


鏡をみていなかったら
よろけなかったであろうことを考えると

その視点は時に
行く道の「妨げ」となるみたいなのだ。


ところが、日常をふりかえると
他人の視線を気にしてしまうことは
大いにある。

「いい人と思われたい」
「嫌われたくない」
「こういう自分を見せたい」と。

その度に、余計な力が
身体に入っていた
ことに

はっとさせられる。


何事も学び。

鏡が部屋にあったことも
よろけたことも

気づきを得るきっかけとなってくれたようだ。



3/2
5:35。

まだ暗い中
ポーズをとり始める。

徐々に昇る日。

桃色の空が綺麗だなと見惚れながら
ゆっくりポーズをとっていく。

穏やかなこのひと時に
心底癒された朝だった。


3/3
8:25。

15分だけヨガを。

足先、手先、首を
呼吸に合わせてゆっくり動かした。

これだけであっという間に
終えたい時間がやってきた。

太陽礼拝も、戦士のポーズも、
鳩のポーズもできなかったけれど

呼吸が深くなり、
優しい時間になった。



3/4
6:50。

「解放感」を感じたのは
ポーズを終える際、

腕を丁寧におろしたからだった。

ほろっと身体から
いらないものが落ちたような感覚の後に

解放感が心の中に広がる。


久しぶりではあったけれど
何度も行なってきたこのポーズ。

また新しい感覚を得られたことが
嬉しかった。


そして、余分なものを手放すことって
気持ちがいいなぁ
と改めて思った。


新年度を迎える前に
いらないものとも、

なくてもいい思考とも、
身体の力みとも
さよならできたらいいなとも。


とはいっても
思考や力みを手放すことは
簡単ではないので

まずは身の回りの片付けから
手をつけてみようかなと思った今日だった。

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