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《桜、忘.》

 今年も迎えた桜の季節。

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 祖母の介護にあたるようになり迎えた、二度目の美しき時だ。一度目の昨年。ひと月半の入院を終えたばかりの彼女の体は弱り、連れていきたいと思いながらも諦めた「お花見」だった。

 それでも、90歳を超えてからも人はこんなに回復できるのかとひどく感心するほど彼女は元気になってくれた。日中は多くの時間を車いすに座り過ごせるようになり、一緒に出かけられるようにもなった。数ヶ月に一度の通院に加え、秋には紅葉狩りに出向いた。それもこれも祖母のもっと生きたいという熱望に加え、誠実な介護タクシーの運転手さんとの出逢いがあったからだろう。

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 さて、念願の祖母との「お花見」の日。事前の介護タクシーの予約は母が、当日のお弁当づくりはわたしが担い、二人してはりきった。

 あいにくの曇り空。にも関わらず、満開の桜が貴さに溢れていることを感じる。車いすの高さまで枝垂れる桜の前で、カメラの大好きな祖母にスマホを向けるといつものようにピースをしてくれる。今年は一緒にみられてよかった、と広がる安堵の気持ち。「きれいだね。」と桜を見ながら食べたお赤飯は、お花見にはそれがいいという彼女のリクエストがあったから。桜の型で抜きお弁当にした。まだほんのり温かくて美味しかった。

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 帰り道。和菓子屋さんに寄って、桜餅を二種買う。道明寺と関東風のそれだ。母とわたしはお花見ができたことに浮かれているようだった。

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 「ボーリング。」と祖母が答えたので、笑ってしまった。桜をみたことを覚えているか気になり、今日何したっけ?と家に着いてすぐ聞いた際、返ってきたものだった。あいかわらず、さっきのことを忘れてしまうらしい。ちなみに、ボーリングはデイサービスへ行った時にしたもの。その小さな大会で優勝したため、数年前のことながら彼女の脳裏にはっきりと記憶されているらしい。

 認知症との付き合いも長くなってきたので、もう驚きはない。それでもいいとさえ想っている。二〇二二年の桜が満開の日に祖母とお花見をしたこと、枝垂れ桜の前で記念撮影をしたこと、桜を見上げた彼女の瞳が綺麗で見惚れたことを、わたしが憶えてさえいればいいと。

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