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0020 《父のいたニューヨークで.》

 店内に”Moon River"が流れ、涙があふれそうになった。

 ティファニーブルーの壁に、豪華なシャンデリア、可愛らしいお菓子の箱が所狭しと並べられているMarieBelle(マリベル)。ニューヨークで有名なチョコレート屋さんだ。この名前を初めて目にしたのは、父の財布に入っていたショップカードを手にした時だった。

 父はニューヨークで亡くなっている。15年も前のことだけれど、そのせいでニューヨークに来ることが、わたしにとってものすごく勇気のいることになっていた。特にMarieBelleを訪れることは。それでもソーホーへ行くことにしたとき、立ち寄ってみようと決めた。


 一歩足をふみ入れると、マリー・アントワネットの部屋という雰囲気に、うっとりとした気持ちになる。お洒落な場所には詳しい父だったからうなずけた。

 感傷的になることもなくおみやげを探していると、流れていた曲がふいに"Moon River"に変わった。胸が熱くなった。さきほどまで冷静にチョコレートを選んでいた手までとまってしまう。あの美しいメロディーに、哀しみとも切なさともちがう何かが心からこぼれ始めた。

 映画『ティファニーで朝食を』の中で毎回じんとくる場面がある。オードリー・ヘップバーン演じるホリーは自分を変えようといつも一緒にいた猫をてばなし、彼とも別れてしまうのだれど、すぐにその存在の大きさに気づいて、雨の中涙しながら彼らをさがし始めるというラストシーンだ。

 大切なものは今ここにある。そのことが思い出されて、観終わったあとにはいつも優しい気持ちになっている。


 さみしいけれど、父はもういない。それでも、父の記憶はこれからもわたしの中にあって、のこしてくれたものに支えられて生きていくのだと思う。教えてもらったMarieBelleを時をへて好きになったように。

 店内で口にしたホットチョコレートは、ほろ苦くて、濃くて、あたたかった。わたしの奥ふかくに染みいったその味が、またあたらしい想い出のかけらになっていくのを感じたのだった。



(↑MarieBelleの紹介です。こちらもあわせてご覧ください♡)

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