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今日のYOGA。「ヨガと美術鑑賞/もったいなかった、でも」

8/20
7:50。

ぐーっと鳴るおなか。

最後にかならず行なう
仰向けに横たわるポーズ
「シャバーサナ」で
これが聞こえてくると

身体から「合格」をもらった
ような気持ちになる。


心身も頭も寝ぼけたままに
毎度スタートするヨガ。

ポーズをとる中で
頭がすっきりしてきたり、
手先が温まってきたりするのを感じると

「今日もヨガしてよかった」と思う。

これに加えて、
みたりふれたりすることのできない
身体の内側からも

いい変化を感じられると
いっそう嬉しくなって。

動き始めた音に
「おっ!」と喜びが湧いてくる。

ささいなことではあるけれど
このことは、自分が
すこやかであることに気づかせてくれて

その積み重ねが
「今のこの自分でいい」「自分がいい」
と思える自信
にまでつながっているように
感じている。



8/21
7:35。

早寝遅起きなわが家。

その中心にいる
祖母は夜10時ごろに寝て
朝9時ごろに目を覚ます。

そのため、7時台はまだ
家の中に静けさが広がっていて。


さて、今朝もそのような中で
ポーズを取り始めた。

窓を開け、
外の気温や風や光を感じ
身体を動かしていると

ふと美術館にいるみたい、と思った。

五感で捉えている
「対象」と自分の「感覚」
だけがそこにあるように感じられて。


アート作品を静かに鑑賞していると
心底癒されるように

今日も秋のかけらにふれ、
心穏やかになった。

優しい朝になったなと思う。



8/22
7:50。

日々ヨガを続けている中、
しないとなんだか心地悪くなってきた。

習慣というのは
こういうことなのだろうなと思う。

それでも、
スポーツは観る専門だし、
前屈で手先が膝まで届くのがやっとなほどに
カタかったわたしが

こんなにも毎日
身体を動かしていることには
わたし自身が一番驚いている。


そして、気づかされるのは
運動が「運動神経の良い人のため」の事柄と
どこかで思っていたことだった。

これが不得意なわたしは
スポーツをすると周りに迷惑をかけてしまうから
避けていたところがあったのだと思う。

バスケはドリブルができないし、
バレーはボールが飛ばないのに腕だけ痛くて、
スノボは足先が濡れて冷たかった以外の記憶がないほどで。
(とほほ...)

それでも、一人でもくもくとできる
ヨガと出逢ってから思うのは

日々運動する習慣を持つのは
誰のためにも良いということ。


体力がついてくると
集中力が高まるし、

代謝は良くなるし、

食べ過ぎることの心地悪さを
感じられるようになるので
「適量の食事」ができるようになるし、

姿勢が良くなるし、

気持ちは前向きになる


こんなに良いことばかりなのに
運動しないことを選んでいたのは
もったいないなと

以前の自分をふりかえり
つくづく思う。


そのことに対して後悔の気持ちが
湧かないのもまた

ヨガを始めたおかげで
前を向いて過ごせるように
なってきているからなのかもしれない。


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