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今日のYOGA。「心の”鬼”を追い出す節分/立春の日のヨガ」

1/30
8:45。

気持ちが
うつむき気味の朝。

何かがあったわけでもないのに
こうした気分で目覚める日は
たまにやってくる。

ヨガすることさえ、おっくうで。

それでもヨガをしないと
余計に落ち込むことは
身にしみてわかっているので

気持ちをふるいたたせて
マットを取り出した。

あとは流れに身を任せて
ポーズをとる。

固まった肩周りや股関節。

伸びていく気持ちよさを味わうにつれ
あのうつむき気味の気分が

立て直されていく。


「ヨガしてよかった」としみじみする。

身体がほぐれていくだけで
こんなにも気分が前向きに
なっていくことには

ほんとうに驚かされる。


ヨガと出会うまでは
「心と身体」のつながりに
とても無頓着に過ごしてきていて

例えば、アスリートの方が
試合後のインタビューでそのことを
口にされるのを聞くたびに
ぽかんとさせられることが多かった。


もちろんヨガを続ける中で、

この二つが直結していることを
身をもって知ることになるとは
思ってもみなかった。


そんなわたしも今では、

心を整えたい時には
身体から手をつける
ことが
定番となっているから

身をもって知ることの力は
偉大なのかもしれない。



1/31
8:25。

今年中に完成させたい
と思っている
「ヘッドスタンド」。

それが今日ちらっとできた。

初心者なので今は
壁を使ったバージョンに挑戦している。


これが両脚を持ち上げる時
壁にふれず

ぐいっと自力で持ち上げることが
途中までだけれどできた。

さらに両脚を持ち上げて
一度壁に預けてから

少しの間離すことができた。

「おっ、これがヘッドスタンドか」
と考える余裕もあって、なんだか嬉しい。

こうして何かに挑戦することは
その過程も含めて愉しいなと
あらためて思った。


2/1
17:25。

新しい月を迎えた日。

いつもより動きが丁寧になる。

日頃からこの丁寧さをもって
ヨガにも、その他のことにも
取り組みたいと思っているのだけれど

なんとなくバタバタしてしまうのだった。

「今」よりも「過去」や「未来」に
「自分」よりも「他」のことに

意識が向いているからだと思う。


でも一日(ついたち)は
ヨガをきちんとしよう!

と意気込んでマットに立つから
「今」しているポーズに
集中できる
のだと思う。

まだまだ凡人のわたしは
こうして「一日」の力や

ヨガウェアを新調したいい気分の力を借りて、

理想である「丁寧に」を
実現していくのがいいのだろうなと思った。



2/2
14:45。

今日はヨガをしなくても
平気かもしれないと思った
朝だったけれど

やはり全身を流したくなった。

とくに、午前中はそれをあまり感じなかった
肩甲骨周りの痛みが午後が深まるにつれ
気になり出した。

針の糸通しのポーズ、
伸びた猫のポーズをすると

すっきりとしていく肩甲骨。

ヨガを終えた午後も
このひと時のおかげで頑張れた。



2/3
8:35。

午前中の用事の前、
どうしても呼吸を整えておきたかった。

その乱れが朝起きた時から
気になっていたのだ。

20分間、
身体をゆっくり動かしながら
呼吸を繰り返していく。

呼吸が落ち着いてくると
気持ちも穏やかになっていく
のがわかる。



17:40。

「節分」の今日。

明日から新たな季節が始まるので
「鬼」を追い出しておきたいと思った。

「鬼」というのは、
自分の心の中にあるものだそうで

わたしの場合は、
自分以外の人やものを思い通りにしたいと
思う気持ちだったり

満たされていることを忘れて
不満を感じることだったり

一度に一つのことしかできない時でも
たくさんのことをしたいと欲張ったり
することなのだと思う。

長年の蓄積でこのわたしが
形成されているので

節分のひと時で
すべてを「追い出す」ことは
もちろんできないのだけれど

こうしたものを
手放したいと思っている自分に
気がつけたこと
は収穫だった。


かつては季節の変わり目は
すべて節分だったということなので

こうした節目節目に
自分の「鬼」と向き合うことを

習慣にしていきたいなと思った
今年の2月3日だった。


2/4
8:40。

立春。

新たな季節が始まった。
めぐる四季のスタートでもある。

このような日にしたくなる
蓮(はす)のポーズ。

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蓮のお花が咲く様子を思い浮かべながら
両手を高く伸ばしていく。

夏の陽射しをいっぱいに浴びて
神々しく咲くあのお花を。


この時にふと思い出したのは
わたしたち人間も

太陽のエネルギーを
いっぱいに受け取っていいということ。

蓮がすくすくと育つ時のように。


日々降り注ぐ陽の光を
たっぷり受け取って

自分の元気に、
花ひらく原動力にしていい
のだなと
思わされた。

このことは、
お日さまの光によって
わたしたちは生かされている

ということを
思い出すきっかけにもなった。

体内リズムをつくってくれるのも、
命をつないでくれる食べ物を育むのも、
寒い日の暖かさをもたらしてくれるのも

太陽の光だったなと。

陽の光を少々図々しく
ふんだんに受け取りながら

恩恵を受けていることへの
感謝の気持ちも忘れず、

これから夏至に向けて
ますます明るさを増していく
日々を過ごしたいなと思った

春の始まりだった。


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