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《春眠、そろり.》

 祖母の介護にあたるようになり、一年が経った。認知症と左半身の麻痺のある彼女の家に、母と二人で転がり込み生活をしている。

 母との役割分担は、母:掃除、洗濯。わたし:料理、買い出し。というのがざっくりとしたそれで、祖母にまつわることはその時手の空いている方がするという形をとっている。

 それでも、わたしだけの仕事なるものが一つある。彼女の寝かしつけだ。子どものいないわたしは、本物(?)の寝かしつけをしたことも、見たこともない。だけれど、きっと同じであると想像の範囲内では確信している。


 ダイニングで夕食を終え、そのままキッチンで祖母の歯磨きをする。車いすに乗った彼女を、リビングいっぱいの介護ベッドへと連れていき、ひょいと移す。「まなも隣。」「一緒に寝よ。」とこの時こぼす祖母の愛おしさには毎回きゅんとさせられる。


 うん。と言ってそのまま隣にごろんとする日もあれば、お風呂に入ってからベッドに戻ってくる日もある。いずれの時も、祖母の左側ということは決まっている。終戦の話、妹が老人ホームに入った話、わたしが出版社をやめた話、をするということも。その合間には「歌ってごらん。」とも言うので、この頃祖母が気に入っている「春の〜うららの〜隅田川〜《花》」や「あんたがたどこさ《あんたがたどこさ》」を歌う。

 さて、ここからが寝かしつけ本番となる。まずわたしが目をつむる。これは半年かけてみつけた極意だった。わたしの仮の寝顔をみた祖母は「寒くないか。」と左肩にお布団をかけてくれつつ、話を続ける。相槌の返ってこないことに気づくと、ふたたびお布団をかけてくれる。

 その様子を日々目にする母は時折「まながそんなに好きなの?」と聞く。「うん。大事なの。」と毎度答える祖母。隣で寝たふりをしているわたしは、毎度目を閉じたままにんまりとせずにはいられない。

 いつも彼女のために何かしているつもりだ。けれど、受け取ることがずっと多いように、毎晩優しい眠りに誘ってもらっているのは、やはりわたしの方だった。

 祖母の寝息が聞こえ始めた頃、そろりと介護ベッドを抜け出す。そして、大事なの、の言葉を反芻しながら、自分の布団で眠りにつく。まるで春の香りに包まれた時のように、うっとりと。



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