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0023 《タピオカの記憶.》

 空前のタピオカブームは15年くらい前にもあった。

 懐かしいあの太いストロー。タピオカを吸おうとして、ミルクティーをぐびぐびと飲むことになり、最後にはコップの底にタピオカを残してしまう。そんな高校時代の一幕を思い出す。

 ハマったものを突き詰める派のわたしは、理科の授業でモンシロチョウについて学んだ小学生の頃には家でそれを育ててみたり、ミョウバンの結晶を作る実験をした中学生の頃には一ヶ月以上もお風呂場にいくつも透明な容器を並べて、できた結晶を眺めては「ダイヤモンドみたい」とひとりにけたりしていた。

 もちろん、タピオカミルクティーも家で作ろうと思った。乾燥した黒いタピオカを買ってきて、水に戻す。もちっとしたあのやみつきになる食感。これが家で食べられるなんて嬉しい。しかも好きなだけ食べられる、そう思っていた。

 ところが、水が多かったからか、浸していた時間が長すぎたからなのか、つぶつぶのタピオカは、どんぶり一杯の大きさのお餅になった。全部くっいてしまったのだった。あの光景は今でも忘れられない。どう見てもコップに入るサイズではないし、ちゃんと粒になっていたとしても一回で平らげられる量ではなかった。

 結局あれをどんなふうに食べたのかということは、すっかりわたしの頭の中から消えてしまっている。


 先日、母と祖母を連れてお花見に行ったときのこと。行きのタクシーで運転手さんが「ここの桜見たいんだけど、嫁さんが来たがらなくてね。昔付き合ってた男と行ってなんか嫌な思い出ができちゃったらしいんだよ」と言うので、「旦那さんが連れて行ってあげて、奥さんに新しい素敵な思い出つくってあげたらいいじゃないですか」と母と口を揃えて言ったのだった。

 でも、わたしはあれ以来タピオカを口にしていない。流行りのものを追いかけるのが好きじゃないからと思っていたけれど、そうではなくて明らかにタピオカを避けている。きっと当時よりも進化をとげたタピオカミルクティーは、バラエティーも増えて、美味しくもなっているのだろうな。

 こんなトラウマがあるのは、世界中さがしてもわたしだけなのかもしれない、と思いながら今日もまたタピオカ屋さんの前を通りすぎた。

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