見出し画像

今日のYOGA。「梅雨のゆううつ/ヨガと美しいものをみること」

6/22
7:30。

梅雨の只中。

そのゆううつを
あまり感じなくなったのは

生活の一部に
ヨガがとけ込むように
なったからだと思う。


「今日は曇りかぁ」
「雨いやだな」
と以前は6月になれば思っていた。

わがままなことに
梅雨があけたらあけたで
「暑いな〜」と心の中で
一人ぼやいていた。


とても不思議なのだけれど
この頃の朝は、
しっとりとした空気に
空をおおう真っ白な雲に
しみじみと「梅雨だな」とだけ思う。


心も身体も「外」のことに
影響されづらくなったこと、

どんな瞬間も尊いと心底
思えるようになったこと、

自分も自然の一部であると
感じられるようになったこと

があるからかもしれない。


ヨガのポーズを日々とることくらい
しかしていないのだけれど

身体は丈夫になり、

得られるたくさんの気づきによって
心もいつの間にかたくましくなって
いったみたいなのだ。


心も身体もつよくなると
こうして穏やかに「外」の物事を
捉えられるようになること

梅雨にしょんぼりしていた
昔の自分に教えてあげたいくらい

今とても豊かな時間を過ごせている。
ありがたいなと思う。



6/23
7:55。

予定のない日。
迷うことなく朝からヨガをした。
身体が欲していたのだと思う。

時間を気にせず、
のびのびと身体を動かせることに
さわやかな喜びを感じる。

さらに、
朝のカタい身体が伸びるのを
待ってあげられること

ずいぶんと心が癒されていった。


同時に、日常どれだけ
「待ってあげられていないか」
ということに胸がちくっとなった。

ここ最近、
バタバタと食事をしてしまっていて
その時に慌てて食べ物を飲み込んでいたことが
じわじわと思い出される。

身体にごめんね、と今さらながら
言いたくなる。


でも待ってあげられない自分も
否定しないでおこうと思った。

一人ではけっして生きていけないから
誰かと関わりをもつことは必然で、

その中で100%「自分のペース」を守ることは
かえって窮屈さを生んでしまうと思うのだ。


だからまた、食べ物を慌てて
飲み込んでしまうようなことがあったなら

たとえその場では気がつけなくても

その時につくってしまった
小さな心の傷の手当

あとからこうして
自分なりの方法でするのが
わたしには合っているのかなと思う。

ヨガをして、
美しいものをみるという方法で。






この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?