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戦国時代から学ぶ令和の生き方

「歴史なんか勉強して、なんか意味あるの?いろいろ覚えたところで、将来の役に立たなくない?」

教員をしていた頃、よく生徒から言われました。

まぁ、それぞれの考え方があっていいと個人的には思いますが、少なくとも現在や未来のことを考える上での”ヒント”にはなる、と私は考えています。(あ、一言添えておくと、試験のために「覚える」だけで終始する勉強はどうせすぐに忘れるし、正直役に立たないと思います、はい。)

先日、書店にて渡部昇一さんの『「時代」を見抜く力』という本を目にしたのですが、その帯に

歴史が繰り返すことはない。しかし歴史のパターンは絶えず繰り返される

と書かれていました。

う~ん、深い(笑)。

というか、それを見たのが本記事を書こうと思ったきっかけです、実は。

社会情勢が現在と最も近いのは戦国時代

とはいえ、「歴史のパターンって何だよ」「範囲広すぎて、どこ勉強したらいいのか分からないよ」といった声が聞こえてきそうなので、私なりの考えをまとめます。

古市憲寿さんは著書『絶対に挫折しない日本史』のなかで、以下のように述べています。

日本史をざっくりまとめると、古代は天皇を中心に日本が1つにまとまる時期。中世はそれがバラバラになる時期。近代は再び日本がまとまる時期。

歴史観は立場によって異なりますが、大まかに言えば上記の通りだと思います。

で、令和の日本社会に最も状況が近いのは中世、とりわけ戦国時代ではないかと思うんです。

なぜかって??

それは「生き方の正解が1つではなく、人によって違うから」。

それでは以下、本論です。

大きく①働き方の多様化 ②地方移住 ③趣味を持つ重要性 の3本立てでまとめます。

①働き方の多様化

正社員か、起業か、フリーランスか。リモートワーク、副業、ネットビジネス・・・。

現代人は自らの身の置きどころに悩む日々ですが、実は戦国時代もそうでした。

「いやいや、封建的な時代に転職の自由なんてないでしょ」と思った方、それは江戸時代あたりから浸透した考えですよ。

まず、戦国時代の位置づけですが、「先の見えない時代」でした。

それまで存在していた”室町幕府を中心とする秩序”が崩れた時期で、地域の支配者は「幕府が用意した枠組みの中で仕事をこなす」守護大名から、「枠組みを1から自分で作る」戦国大名へとシフトします。

いうなれば、大企業の幹部たちがみな独立した経営者になることを迫られたような感じですかね。

その下にいた武士たちも、大名の被官(家来)になって生きていくか、武士同士で一揆を結んで守護に対抗する勢力となるか、に分かれます。(ちなみに一揆というのは、竹槍担いでオラーッ!!ってやることではなく、同盟を結ぶというのがそもそもの定義です)

現代でいえば、大企業の社員という地位にしがみつくか、それ以外の道を探るのか。

農民たちも、ただ黙って殿様に従っていたわけではありません。

もし仕える殿様が他国に負けてしまえば、村もすべてを失いかねないので、日頃から情報収集してどちらの殿様が有力なのかを測り(場合によっては寝返る)、領主の城とは別に村人の避難用の城を築き、時には落ち武者狩りも行っていました。

また、農作物についても、年貢(税金)として納めなければならない米だけではなく、商品作物としての野菜や、生糸や木綿の栽培・生産も普及していました。

本業での収入の他に、副業を掛け合わせていたんですね。

②地方移住

一般に、応仁の乱をきっかけに日本は戦国時代に突入した、と言われています。(最近では否定的な意見もあって、関東では応仁の乱よりも前にとっくに戦国時代だった、とか、畿内(=関西)では明応の政変までは一応将軍権力は維持されていた、とか)

少し前に呉座勇一さんの著書で有名になった”応仁の乱”ですが、特に勝ち負けはつかず(というか誰が何のために戦ったのかも後になってみると不明)、京都が焼け野原になっただけで終わりました。

それまで京都は政治・経済・文化の中心として人々が一極集中する場所だったわけですが、応仁の乱による荒廃で人が住める場所ではなくなりました。

その結果、貴族や僧侶などの文化人が自らのスキルを持ち込んで地方に移住したため、京都の文化を地方でも享受できるようになったといいます。

コロナ禍で満員電車の密を避けるようになり、テレワークの普及でもはや都心に住む必要がなくなってきた現在の状況とそう変わらなさそうですよね。

③趣味を持つ重要性

歴史の教科書の中には、政治史や経済史、外交関係史のほかに文化史という項目がありますが、室町~戦国時代あたりの時期は他の時代と比べてバリエーションが豊富です(お手元に日本史のテキストがあれば”文化”の項目だけを時代順にパラパラめくってみてね!)

これにはさまざまな要因が考えられるのですが、一角の人間として認められるためには何らかの特技が必要だった、という部分もあったようです。

今までは幕府や所属しているコミュニティ内での地位が人を評価する”物差し”だったのに対し、戦国時代は実力主義の世の中。

肩書きよりも、「何ができるか」が人の判断材料になっていたのかもしれません。

ちなみに、戦国時代に流行りだしたものには連歌茶道がありました。

連歌は前の人が詠んだ句に対して後の人が句を繋げる、というもの。

瞬発力を試されるという点で、頭の回転の速さや教養を測られる抜き打ちテストみたいなものでしょうか(急にお題ふられるのとかめっちゃヤダー)。

また、茶道に関しては、一通りの作法を終えた後に茶室で商談、なんて使われ方をしていたようなので、不作法があると大事な契約が成立しない、なんてこともあったかもしれないですね。(ドラマ「私の家政夫ナギサさん」の中でも、ビジネス上の付き合いで相手の好きなマンガを読破したり、ゴルフの練習をしたりするシーンがありましたね。ん、観てないですか??・・;)

戦国時代末期には織田信長の弟・有楽斎や古田織部など、武将なのに茶道で名をあげちゃう人も出てきます。

現代でいったら副業がバズってそっちが本格的な仕事になってしまった、みたいな感じでしょうか。

まぁ、趣味で始めたことが収入に結びつくかどうかはさておき、教育機関では今までの一斉集団型の授業形態が見直されはじめ、企業では年功序列・終身雇用を前提にした日本型雇用が崩れ、社会全体では少子高齢化による人口バランスの変化で将来年金がもらえるか怪しくなってきた状況下で、学校・会社・家庭以外にコミュニティを持つという点で趣味を生かすことができたら大きいような気がします。

もっといえば、このご時世で”生き甲斐”とよべるような趣味がある時点である意味”勝ち組”なのかもしれないな、なんて今ふっと思いました。(自分で書いといて何ですが”勝ち負け”って概念自体、どうなんですかね)


さいごに

以上、歴史を現在と紐づける作業の一例をご紹介してきましたが、これには”模範解答”みたいなものは存在しないので、この記事を読んでくださった方1人ひとりにも考えていただけたら、と思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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