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心通じる人はきっと現れる

【徳は孤ならず、必ず隣あり】

「徳を身につけた人は決して孤独にはならない。必ず理解し寄り添ってくれる人が現れるものである。」

私は今、新しいことに挑戦しています。noteの執筆を中断したのもその影響です。それは何かというと動画制作です。理由は3つあります。ひとつは五感(自分)をフルに活かせること、ひとつは頼りにしてくださる方へお役に立つこと、そして未知の世界への挑戦です。

自分の世界観で己を活かし、人を活かすことが動画で出来るのではないか、トーク番組のような形なら最高に自分の強みを活かせるのではないか、2年ほど前からそう思い始めました。

とはいえ、制作に至るまでには様々な壁がありました。仕事やプライベートに支障をきたさず、撮影機材や編集ソフトを揃え、技術を磨き、仲間を作り、企画を考え、ゲストにとってプラスになるコンサルティングをする。プレッシャ〜(;´Д`)だって仲間を作ること以外全部初めてのことですから(笑)

普段は通信制高校のサポート校長として、不登校気味の生徒たちには評価を恐れず行動してみよう!と常々話しています。でもそんな私だって結果ばかり考えると怖くて足がすくみます。

ハッキリ言ってずっとビビってたわけですが、今年の4月末、一通のDMから挑戦が始まりました。コロナの影響でお仕事が激減したマナー・コミュニケーション講師の先生が遠隔の講習を模索されて困っている様子でした。

Zoomのやり方を教えてほしいということで、私の知りうる限りお伝えさせていただきましたが、活動PR動画の制作をしませんか?と私から提案しました。困ってる人のためなら本気で打ち込める、そんな瞬間でした。あの時に出た瞬間的なエネルギーは「ただのカッコつけ」なのか、「今しかない!」と第6感で感じた直感なのかはわかりません。でもそこには「真」が存在しました。決して周りを利用して自分のやりたいことをやる、という悪しき心があったわけではないです。

私の周りにいるんです。「◯◯は使える」と時々無意識に口から溢れる人が。そのたびに私も「利用されている中のひとり」なのかなと考えることがあります。言葉って不思議ですよね。心のあり方がそのまま言霊となってヒョイと飛び出すことがあります。

決して悪いことではないですが、私には人を利用するといった考えにはなれないんですよね。良い子ぶってるわけでもなくて、自分の心が汚れてしまうような気がします。別にその汚れは誰にも見られるわけではないですが、「見る人が見ればわかる」ってのもあるし、自分のことキライになってしまいそうで(;´Д`)

話がそれてしまいましたが、誰かのために!って本気で思えたことなら結果など気にせず突き進んでしまえ〜といつも思うわけです。

もちろん失敗ばかりだと思います。今も何本か動画をYouTubeにあげてますが、掛けた時間や労力、財力には到底見合わない結果です。でもそんな時に見える景色が凄く最高なんですよね。

「バカなことやりはじめた」とか「どうせ誰も見るわけじゃないし」そんな目で見られます。でもその中に本気で応援してくれる人がいるんです。その「真のフォロワーの景色」はこのときだけしか見えないと思うんです。これがどんな景色よりも美しいんです。

なにか新しいことにチャレンジするって本当に大変ですが、利他の心で頑張ればきっと分かってくれる人があらわれるものだと思います。いや、そう信じたいですね。

徳は孤ならず、必ず隣あり。

大好きな言葉のひとつです。不安ですけどね、頑張りましょう!