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【日記】春の匂い

2月が終わる。3月が来た。下書きに一回入れて、推敲してから出すからちょっとタイムラグがある。NoteのことをTwitterの延長だと思っているので、くだらないことを書こう。春の話だ。

季節には、匂いがある。冬のからりと乾いた冷たい匂い、秋の暖かな匂い、イギリスの夏のパリッとした日差しの匂いや、日本の夏のどろりとした匂い。スコットランドの初夏の匂い。

土曜日の朝に、窓の結露を拭いて窓を開けたら、春の匂いがした。冬の「寒いけど日差しはあって暖かい」朝ではなくて、春の「スプリングコートがないと寒いけど、ツンとした新しい」朝の匂いがした。まごうことなき春だ。2月26日土曜日、ロンドンに春が来たと思う。嵐が明けた週の、思ったよりもずっと早い春の匂いだった。

毎年毎年春が来るたびに、そこはかとない寂しさを覚える。引っ越しの季節だし、進級の季節だ。転勤族の娘なので、よく引っ越したし、新しい家に引っ越す時の記憶は、この匂いに強く紐づいている。小さい頃の記憶というものは、成長するにつれて新しい記憶に圧縮されて、一つの場所に対してポツポツとエピソードが紐付けられているだけになりつつあるけれど、新学期と転校の匂いは、なんとなく覚えているような気がする。

進級の季節でもある。朝、窓を開けて、胸いっぱいに春の空気を感じて、中学高校のクラス替えと進級と席替えのことを思い出して、切ない気持ちになる。日差しの入る廊下に出て、式典用の制服もどきに身を包んだ同級生が話している光景も、綺麗な黒板と掲示物のない掲示板も、春の匂いの記憶だ。透き通ったような明るさの登下校の道。少し慣れない教室。教科書。大人数でワイワイしたり、自分から人に連絡を取ったり、人と連絡を取り続けたりするのがそこはかとなく苦手だから、高校の時の人とやりとりを続けているわけではないけど、高校にいた時の日々は、大学に入ってからの日々とは全く違っていて、違う方向に価値があって、大切なものだったと思う。もう二度と戻らないことがわかっている大切な日々で、かつ、もう一度やりたいような大切さでもないけれど、それをわかっていて、かつ感じていて、20歳になったなあと思う。

春は、年齢を重ねる季節でもある。自分の中に10年を2回も内包していると思うと、本当に信じられない。もう少しで21歳になる。私は21年分成長しているのだろうか。

過去に2回、2週間ずつだが、オーストラリアの高校に滞在したことがある。色々なことを感じ、結果海外大への進学があるわけだが、とりわけ強く覚えているのが、オーストラリアの冬の匂いと高校の匂いだ。2回行ったのはそれぞれ違う高校だったはずだが、自分の通っていた高校とは何かが違う匂いがした。

ついでに、過去に1回、オックスフォード大学の寮に滞在させてもらったことがある。オックスフォードの街の、8月のど真ん中。夏にもかかわらず、ひんやりとした朝の空気は、かつて感じたロンドンの朝の匂いに似ていたと記憶している。

去年の秋にロンドンに来た時、ロンドンは異国の匂いだった。オーストラリアの冬とも、オックスフォードの夏とも違う、外国の匂いがした。買い物に出るたびにそれを強く感じで、寮の匂いに少しずつ慣れて、引っ越しもして、ロンドンの匂いはもうわからなくなってしまった。いちにち部屋にいて夕方散歩に出ても、そこにあるのはいつものロンドンで、異国の匂いがするロンドンでは無くなってしまった。部屋に帰れば私が落ち着く匂いがして、たまに匂いを変えたりして、自分を取り巻く匂いは自分のものになった。東京に戻った時も、「これが東京の匂いだ」とは思わなかった。帰ってすぐアパホテルに投げ込まれたということもあると思うけれど。

その分、変わらない季節の匂いを感じているのかもしれない。始業式のあの日の朝や、クラス替えの日の朝の東京の匂いと、あの朝のロンドンの匂いはすごく似ていた。

春が来たのだ。

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