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2024/07/24 "必要とされることが愛だと思っていた"

noteでの日々の記録
1日1日を大切に生きることを大切にしたくなったので、noteに残してみることにしました!
誰かに向けてというよりは、自分の記憶の記録と思い出のために。
いつか忘れてしまうかもしれない今日をありのまま綴ります。


必要とされることが愛だと思っていた

SHEアワードに登壇された方や、事業を起こした人たちが、よく「パートナーが支えてくれた」と話すのを耳にするたびに、私の心にはチクリと刺さる感覚があります。
仕事も生活もコミュニティも充実していて、毎日幸せなはずなのに、その言葉を聞くと、自分には何かが欠けているのではないかという思いに駆られてしまうのです。

見たくない現実

これまで、見たくないものとして自分には関係のないことだと思ってきました。しかし、自分でコトを進めるようになってから、「自分にもそんな支えてくれる存在がいたら良いのに」と思うことも正直増えました。
それでも、忙しくしたり、複数のコミュニティに所属して、なんとなくその気持ちを誤魔化してきたのです。
まるで凧に繋がっている糸が複数ある状態のように。でも、本当は一本の太い糸が欲しいという願いに気づきました。

自分と向き合う時

これまでの自分は何がいけなかったのだろう。繰り返されてきた不本意な現実と向き合わざるを得なくなりました。
この不都合な現実から抜け出したいと思う気持ちが強くなり、現実を見るのはとても辛かったけれど、向き合わないと変われないと感じました。

気づいたこと

これまでたくさん失敗してきた中で気づいたのは、私は相手のマイナスを埋める存在になってしまったのだということです。

人に承認されて幸せになろうとしている人、人と繋がって幸せになろうとしている人。
私はそういう人たちが何を求めているのかが分かってしまい、こう言ってもらえたら喜ぶだろうなとか、言ってほしいこと、やってほしいことを自然とできてしまったのです。

新しいスタート

もう同じ過ちを繰り返したくない一心で対話していった中で提案されたことは、"自分のマイナスを他者で埋めようとしている人はダメ"ということでした。

自分のことを自分で幸せにしている人
私がいなくてもひとりでも人生を生きていける人
私が尊敬できる人
私が何もしなくても満ちている人
私に承認されて幸せになろうとしない人
私と繋がって幸せになろうとしない人
私が頼れるくらいの器の人
私が苦手なことを補える人

自分自身を大切に

意識していた訳ではないのですが、私もきっと、どこかで必要とされることが嬉しかったのだと思います。(これはずっと付き合っていくテーマですね、きっと)
でも、私は何もしなくても価値のある人間です。私は私でいるだけで満点で、私の中で物足りないのではくらいのgiveで多分じゅうぶんなのだと。
だから今は実験的に頑張らない、何もしない。そんなスタンスとマインドセットで生きていきます。


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