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20歳の誕生日に、ポルノグラフィティの故郷「因島」へ!

私のポルノファン熱度が最高潮だった専門学校時代。自分の20歳の誕生日に、ポルノの故郷・因島へ行くことにした。当日、学校の授業はあったけれど、そんなもん、休むに決まっとるやん!(笑)

事前に「ホテルいんのしま」のポルノグラフィティ所縁のスポットを巡るブランを予約。旅行1ヶ月?前ぐらいにホテルから封筒が届いき、中を覗いてみたら、因島やポルノ所縁スポットの観光地図、因島までのバスやフェリーの時刻表、因島内のバスの時刻表等が入っていた。別にこちらから頼んだわけではなかったので、その心遣いが素敵で、行く前から人の優しさを感じた。これのお陰で、スムーズに旅行計画を立てられた。

私が行った旅行日程はこうだ。先ず、7/3の夜にバスで京都から岡山へ。岡山に着いたのが夜11時台。

その後、岡山駅前にあるジャンカラでポルノを歌いつつ、一晩明かす。(笑)20歳初っぱなは岡山だった!(笑)

朝になって、岡山駅にあるマックで朝食を食べ、電車で尾道駅へ。電車に乗ってる途中で、カラオケで食べたフライドポテトや朝マックでお腹の調子が悪くなり、規模が大きい福山駅でお手洗いの為、途中下車。(笑)何とか間に合い、電車を乗り直して尾道駅までたどり着けた。

尾道駅からは、バスで因島に向かう。

尾道駅周辺までは前に行ったことがあった。

因島は人生初!ポルノの因島凱旋ライブを元に書かれた『明日につづくリズム』にも出てる、因島大橋。因島という文字を見てテンションが上がる。どんな島なんだろうとポルノの曲を聴き、ワクワクしながら、因島の土生港に着いた。

因島観光協会に立ち寄り、情報を貰いつつ、自転車を借り、先ずは、土生港近くにある「松愛堂・因島土生店」ではっさく大福を。

この頃は、ちょうどポルノが15周年を迎えた年で、お店に「ALL TIME SINGLES」のポスターが貼られていた。こちらのはっさく大福は、冷え冷えではっさくの苦みが感じられる大福だった。

お昼にペーパームーンへ向かった。私が行った日は、平日という事もあり、私以外のポルノファンを因島で見かけることはなかった。ペーパームーンには私と因島在住のマダムしかいなかった。店内には、ポルノ関連の雑誌やらアルバムやら多々あり、ファンには堪らない場所だった。

お昼ご飯を食べて、これから自転車で「プラザオカノ」に行こうかなぁと思っていたら、店内にいた因島在住のマダムが車で送ってくださることになった。初対面でそこまで話もしてもないのに、何て優しい方なんだ~!自転車をペーパームーンに置いていき、マダムの車で「プラザオカノ」へ。途中、昭仁さんが通っていたという、小学校か中学校を案内してくださり、感謝感激だった。コンビニ横にある「プラザオカノ」に到着。「祝・紅白出場 ポルノグラフィティ」の垂れ幕は、2019年に行った時でも未だにある。(笑)

店に入り、事情説明や昭仁さんのおじさんを呼んで下さったマダムとは、ここでお別れ。マダム、何から何までありがとうございました!昭仁さんのおじさんが車で、店内を見て回った。

ポルノ関連の記事はもちろん、「プラザオカノ」へファンからいただいたであろう手紙や物が所狭しと飾ってあった。初めてその空間を目の当たりにして、ポルノはたくさんの人から愛されていると実感した。私もその一人ではあったけども。(笑)

そうこうしてたら、昭仁さんのおじさん登場!マジで昭仁さんにそっくりで、本当にこの方はご親戚なんだと悟った。第一声がたしか

「なんでこんなところ来たん?」

と軽くあしらわれた。(笑)たぶん、それがおじさんのお約束なんだろうなぁ。そんなこと言わないで下さいよ~という調子で、昭仁さんの人柄や因島時代の話について教えていただいたのだけど、なんでか知らないけど、どこかから人生相談になっていき、私はおじさんに本心を見透かされて大号泣することに。(笑)

最終的に、おじさんに励ましていただいたのだけど、その励まし方が、昭仁さんがライブの最後で言ってくださる言葉や熱い想いみたいなのと通じるところがあった。おじさんに会えて本当によかった!と心から思う。

最後におじさんと記念撮影!

軽く手を腰にまわされてるけど、昭仁さんのおじさんだから許す!(笑)そうそう、ポルノTシャツを着て因島を巡っていた。中に柄ありのタンクトップをチラ見せ、下はデニムのショーパンって、25歳の今よりオシャレだわ、私。(笑)

「プラザオカノ」からバスで土生港まで戻り、ペーパームーンに置いてある自転車を返却し、再びバスで「折古の浜」へ。

折古の浜に着いたころには天気が回復していた。折古の浜は、海が透き通ってて静かで、真夏日なのに日陰が偶然できてて心地よい場所だった。そこで、おじいちゃんと小学生くらいの女の子とワンコに出会う。そして、声をかけられたと思ったら、まさかの尾道駅まで送ってあげるよ!と言われた。ほんと、会って5分も経ってないのにそうなるのは凄い!だけど、因島に泊まる予定だったので、なくなく断ってしまった。本当に因島の方々は優しくて、温かい。

写真まで撮ってくださり、ありがとうございます!

おじいちゃんたちと別れて、再びバスで土生港へ。土生港から、今度は「ホテルいんのしま」へ向かう。ホテルに電話を入れ、5~10分程で送迎バスがやってきた。バスに乗り込み、ホテルに到着。部屋に着き、バターン、キューン!と倒れ込む。そして、何故か20歳初っ端で、女の子の日になる。(笑)大浴場を楽しみにしてたのに、残念過ぎる!

この日一日の予定は全て終了!次の日に備えて、ご飯を食べてシャワーして就寝。

次の日、朝4時半頃に偶然目が覚めたら、朝日がちょうど昇るところだったから見てみた。

部屋からこんな眺めが見れて最高すぎた!因島に泊まれたからこそ、見れた景色。もう1回、泊まって朝日と夕日が見たいなぁ。

朝食を食べてチェックアウトし、好きなところまでバスで送迎してもらえるプランだったので「青影トンネル」まで送ってもらおうとした。だけど、人が歩けるほど広くなく危険なので、バスに乗ったまま青影トンネルを通過してもらい、土生港まで送ってもらうことになった。

バスに乗り込み、青影トンネルが現れるのを今か今かと待ちわびていると、ついにその瞬間がやって来た!

逃さまいと必死で写真を撮り、『Aokage』の情景に浸ることなく終了。(笑)写真が撮れたから、良しとした。ちなみに、歌詞には「海が見える」とあるけど、実際には海は見えなくて、のどかな風景が広がっていた。「プラザオカノ」側からトンネルを潜ると、だいぶ下ったところまで行ったら海が見える。

土生港まで送ってもらい、再び自転車を借り、ノリで生口橋まで渡ることにした。(笑)これが中々ハードで、電動自転車を借りなかったことを後悔した。汗だくになりながら、体力をだいぶ消耗しながらも、途中の景色に癒され、生口橋までやっとの思いでたどり着いた。

自転車だからこそ見れる景色がそこにあった。しんどかったけど、やって良かった。生口島側まで行き、途中で折り返した。帰りは下り坂だったので、行きより楽だった。

土生港へ戻る途中に、「因島市民会館」へ行った。

誰も人がいる気配がなく、ひっそりとしていたけど、ここで因島に住んでいる子供たちの為に、かつて、因島凱旋ライブをしたのか。ここから見る夕日がキレイなのか。公園のぞうさん滑り台見てくるの忘れてた。

更に土生港まで戻り、「新藤フルーツ」へ。

シャッターが閉まっていたけど、かつて、ここで晴一さんが育ったところなんだなぁとしみじみ。

自転車を返却し、土生港からバスで尾道駅まで戻ることに。ありがとう、因島!

尾道に戻り、昭仁さんが中学生の頃に行って食べたという、アイスモナカをいただいた。

このベンチのところって、NHKの朝ドラ「てっぱん」でも出てたところな気がする。暑い日には、さっぱりとしたアイスモナカが美味しい。

この日のお昼ご飯は、尾道ラーメンをいただいた。

どこのお店が美味しいとかよく分からず、何となく入ったこのお店。

背脂がクセになる醬油ラーメンで、美味しかった。

ラーメンを食べて尾道駅をあとにする。福山駅から新幹線に乗り換え、岡山駅へ。その後、バスで京都に戻ったのであった。

今、「この行程で旅をしろ」と言われたら、体力的に無理すぎる。(笑)当時、お金も一緒に行ってくれる人もいなかった中で、それでも絶対因島に行くんだ!と出来る範囲で考えて実行した旅だった。トータルでいくらかかったか覚えていないけど、2万円程で収まったと思う。

若いうちに、やりたいことをやりまくるってそういうことなんだろうなぁ。と実感した。

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