小西大樹「就職したら親戚が増えました」#6 邂逅編 予期せぬ出来事
「重要書類良し、名刺良し、身だしなみ……多分、良し。」
小西大樹(こにし ひろき)は、初めてのおつかいの様に緊張していた。
(この重要書類をお得意先の〔カフェバー 岬〕のオーナー様にお渡しすれば、明日からゴールデンウィークだ!)
深呼吸して、ドアを開ける……が、鍵が掛かっていて開かない。
「あれ?今日は営業されているはず……それとも、入口が違うのかな。」
営業課長の本橋和弥(もとはし かずや)からは向こう様に今日伺う事を連絡してあると聞いている。民家の様な造りのカフェバーらしい。看板も小さくて、本当にここで合っているかと僅かに疑問を感じる。
「電話?した方がいいのかな。」
スマホをビジネスバッグから取り出すと、ふと、民家らしいインターホンに気付いた。
恐る恐る大樹がボタンを押すと、
『はあ~い。カフェバー岬です。どちら様でしょう。申し訳ございません。本日は貸切にさせて頂いておりますの。』
と、野太い声の応答が聞こえた。
「あ、あの、杉崎商事秘書課の小西と申します。いつもお世話になっております。本日は、あの、オーナー様に書類をお届けに伺いました。」
大樹はこれで良かったのかと思いながら、返事を待っていると、ウィーン……カチャ、と機械音が聞こえた。
『杉崎商事さんね、お話しは伺っています。ご苦労さまです。今鍵を開けたましたから、どうぞお入りになって。自動ドアを越えて左手にドアが有りますから、そこから階段を降りて来て下さる?今ね、みんな地下に居るのよ。』
「は、はい。地下、ですね。」
大樹が玄関ドアと自動ドアを越えると、背中で再びウィーン……カチャ、と施錠音が聞こえた。
薄暗い階段を降りて行くと、岬の文字が書いてあるプレートがドアに掛かっていた。今度は普通にドアは開いた。
「いらっしゃいませぇ。」
野太い声の持ち主は、中肉中背のがっしりした体型の、化粧をした男性だった。五分袖の白いシャツに藤色のロングスカート、藍色のエプロンを着けている。
オカマだ。大樹はTVでしか見た事が無い、初めて会う人に、一瞬怯んでしまった。
と、同時に、店内に充満しているアルコール臭が大樹の鼻腔から喉に脳内に入り込んで来た。地下は、バーになっていた。
ーーーまずい!大樹は我に返った。アルコールアレルギー体質の自分には、ここは危険だと本能が告げる。早く、ここを出なくては!
薄暗い店内に居合わせた数名の客たちが、一斉に大樹を見た。カウンターとテーブルが二つの決して広いとは言えない空間である。が、片側がロングシートでつながっていて、狭さを感じさせない造りになっていた。
「どうしたの?」
エプロン姿のオカマが大樹に向かってやって来る。大樹はハッ、として、急いで
「あ、あの、初めまして。杉崎商事の秘書課の小西と申します。あの、こちらをオーナー様に……オーナー様でらっしゃいますか?」
堰を切った様に言い放った。名刺は封筒と同時になってしまう。もう、なり振り構っては居られない。時間的に空腹を覚える昼前だ。大樹には一刻の猶予も無かった。
「アタシ?アタシは店長なのよ。葵,(あおい)って呼んでね。今、オーナーの基(もとい)を呼ぶわ。待ってて。」
「あ、の。それでは、こちらをオーナー様にお渡し頂けませんでしょうか。」
早くここを出たい。立ち去りたい。心臓がバクバク鳴っている。顔が熱い。頭が少しふらついて来た。
店長と名乗ったオカマは、大樹のそんな体調に気付くはずもなく。
「もといー!お客様よう~ちょっとこっちに来て~?」
と、厨房らしい奥まった一角に呼びかけた。
「あの……っ,こち、ら、を……っ!」
重要書類の入っている茶封筒を葵に渡そうとするが、足がふらついてしまう。これは、危ない。階段は、どっちだった?出口は?振り向いた瞬間に、大樹はカウンターの椅子に手を付いてそのまま床に崩れ落ちてしまった。
「えっ!ちょっと!君!」
「僕、大丈夫?」
「あらっ、どうしたの!」
葵と客たちが近寄って来る。全ての人からアルコール臭がしている。
「どうした?」
基が足早にやって来た。倒れている大樹と茶封筒を見比べて、いきなりビリビリと封筒を開封した。
「ちょっと基!書類なんか読んでる場合じゃないでしょ!君、大丈夫?立てる?」
葵と客に抱き起こされた大樹は、眩暈と動悸で返事が出来そうにない。ロングシートに深く座って、両側に人が居るのは分かるが、店内に充満しているアルコール、気化したアルコールも手伝って、大樹の心臓の鼓動を速めている。息は出来る……まだそれほどではない……でも、いつもと違うのかな……?
「葵!水だ!水!沢山飲んでもらえ!」
破いた茶封筒の中身を読みながら、基が叫んだ。
「えっ、水?」
葵が慌ててコップに水を注いで、大樹に手渡すと、基がもう一杯とマドラーをもって大樹の横に腰掛けた。
「飲める?多めに飲んだ方がいい。」
大樹はぼうっとしながらコップを持たされて、震える手で水を飲んだ。
「ちょっと手を貸して。」
基は、一杯目を飲み干した大樹からコップを受けとると、持っていたマドラーを大樹の手首の内側にすうっとひと筋撫でた。
「何やってるのよ、もと……あらっ、なんで?」
すうっと撫でられたひと筋が、みるみる内にミミズ腫れの様に紅く膨らんでいく。
「はい。もう一杯飲んで.飲める?」
大樹は頭がぼうっとして、言われた方を向くのがやっとの様に見えた。
「君、アルコールアレルギーが有るんだね。ちょっとごめん。」
薄暗い照明の下でもハッキリと分かる大樹の真っ赤な顔を覗き込んで、基はコップの水を口に含むと、大樹の顎を掴み口移しで大樹の口腔に水を流した。
大樹の口元から水が流れ落ちる。周りにいた客たちが固唾を飲んで見守っていた。
「え……アルコールアレルギー……?」
「一滴も飲んでないよね。」
口々に客たちが疑問を語り出す。
「そうよ。基、今ここに入って来たばかりなのよ?」
ぼうっとしている大樹に数回水を飲ませると、大樹は落ち着いたのかそうで無いのか、目を閉じて深いため息を漏らした。
「多分、ここの空気中のアルコールに反応したんだと思う。葵、今すぐこれを読めよ。」
そう言って基は先程の封筒の中身を数枚渡した。
「えっ今?」
「その方がいい。それと、この子はここに居ちゃまずい。」
「え……と、小西君?だっけ?大丈夫か?」
何か言われた様な気がする。大樹は閉じた瞼を開けようとはしなかった。おかしい。眠い……?
そこを最後に、大樹は記憶と意識を手放してしまった。
「え?小西君?おい……?」
「あらやだ、寝ちゃってない?この子?」
大樹はしっかりと瞼を閉じて、寝息を立て始めていた。
「ちょっと、なんなの、この子?」
基も葵も客たちも、訪れたばかりの珍客に呆気にとられて佇んでいた。
これが大樹には内緒で行われるはずの(隠された)お披露目会であった。
中止にせざるを得なかったのは、想定外であった。
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