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※ネタバレあり 君達はどう生きるか:ざっくり解釈

宮崎駿の人生と言うよりかは頭の中に世界を飼っている人に対して問いかける映画って感じでした。

主人公は母親を火災で亡くし、深く傷ついた状態です。そして彼はまだ、母親の妹さんが親になったと言うことを受けられていません。現在のコミュニティーとの折衝もうまくいっていません。そんなストレスのかかった彼はトラウマと妄想が混じった状態の妄想を生み出します。ここで現実の世界の乖離が発生します。
あのサギは、彼の創作の象徴であり、現実にいるサギにキャラクターを投影した、彼の生み出した妄想の化身です。そんなサギは「お前の母親は死んでない」と、主人公の願望を口にします。サギは主人公の妄想の産物であり、現実ではありません。そんな願望を口にする心を煽るサギを敵に見立ててそれを狩る道具などを作る事に熱中することで一時的に現実逃避をします。しかし、いざ弓矢が完成し、少し熱が冷めると自らの妄想はどんどん膨れ上がってきます。
ふと彼は変な建物があった事を思い出します。
あの侵入不可能の大叔父の塔は中はどうなっているのだろう?そこに何があるのだろう?
そう妄想する彼はそのうち自らが主人公となり、塔の中へ入り不思議な世界を冒険する自らを想像します。
これで完全の夢の世界へと誘われました。
そうやって、特別な装備と血筋を持った彼は義母を救いに行く旅へ出ます。そこには見たことのない現実の生き物や自らの近くにいた人の若い時、実在生物モチーフの想像上のキャラなどがいます。

では、そういった妄想と逃避と夢と創作の世界であるということを踏まえた上で、いちど物語の1番最後から戻ってみましょう。

あの世界は、主人公の妄想の世界であると同時に、大叔父の妄想の世界でもあります。大叔父が宮崎駿のうつしみであり、そして社会に適合できなかった宮崎駿オルタでもあります。そして宮崎駿が幼少の頃、培った妄想の化身、つまり幼児性でもあります。大叔父は言います。
「自分は13個の脚本を作って作品を作った。そして私の裡から自然に出てきた、自分のすばらしいと思う13個のストーリーが既にあるのだが、君が創ってくれないだろうか。」
しかし若い宮崎駿は言います。「自らえらそうに創作ができるほど高尚な人間ではないし、社会との折衝もある。だから受け取れない。」
死に瀕した宮崎を前にインコ王、宮崎駿作品についてきたファン達を牽引する、社会と折り合いをつけるための人物、つまり作品を提供する会社/親/等は彼から大叔父からアイデアを受け取ったものの本質を理解せず、バカにし、時間をかけずに組み上げ、大事にそれを取り扱わず、ダメにしてしまいました。そうしていっしょうけんめい作り上げてきたジブリ/妄想の世界は崩壊を始めます。
それと同時に、これは主人公が母の死と義母を母として受け入れて現実と折衝をし、妄想の世界が妄想であることを受け入れ、現実に地に脚つけて生きていく事も表します。
でも、主人公は妄想を妄想であったと受け入れつつ、その世界の想い出を心に秘めています。
創作の象徴であり、原点であるサギは言います。
「妄想の世界を忘れずに、大事なものとして心の芯に秘めて生きていくのはとても生きづらいぞ。世間に迎合した方が生きやすいけどそれでもいいのか?」
「まあいずれ多くの妄想は消えちまう。社会との折衝も付けられるだろう。
でもお前が忘れても俺はずっとお前の心に寄り添っているぞ。」
そう言って彼は消えます。
そして、主人公は東京に戻って現実を生きていきます。

そして、大叔父は明確に宮崎の写し身ですが、主人公はかつての宮崎であると同時に創作をする我々でもあります。
幼少期に脳に世界を作り上げ、そしてファンタジーが幻想でしかないことを知って地に足つけて生きていこうとする。けれどまだ脳に世界を飼っていたり、そのかけらを握りしめている人にこう問いかけます。
「私は自らの世界を創って、発表した。私も半分しか発表出来なかった。でもこんどは君達の番だ。どうする?」

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