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177.「信賞必罰」は苦しみを与える反面、己の存在意義を実感する貴重な真理

著・三松會 占心行動学塾長  脇田尚揮   ■LINE公式アカウント■
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何かを評価する上で良い・悪いが明確に現れるというのは、分かりやすい反面ある種の厳しさを含んでいると言えます。白黒ハッキリ結果が裁かれる体制は、“グレー”を許さないという強硬性に従わなければなりません。例えば“信賞必罰(しんしょうひつばつ)”などがまさにそうだと言えます。

この“信賞必罰”という言葉は、中国戦国時代末期の思想家・韓非子(かんぴし)が書いた『内儲説上(ないちょせつじょう)』という書物の中に出てきます。そこでは、指導者が家臣を統制するには7つの心得が必要であると説いています。

その7つの心得のうち、2つ目が「罪のあるものには必ず罰を与え、威厳を示すこと」とあり、これが“必罰”にあたります。また、3つ目は「手柄のあるものには必ず賞を与え、その能力を最大限に引き出すこと」という内容で“信賞”にあたります。

この考え方だと、評価されることを望むよりも罰せられることを恐れる気持ちが強くなり、自由闊達に身動きが取れなくなってしまう恐れがあります。その厳しさは、もはや恐怖政治の様相を呈すると言えるかもしれません。

この対義語に「僭賞濫刑(せんしょうらんけい)」というものがあります。「僭賞」とは、度を超えた賞を与えることを意味し、「濫刑」はむやみに罰を与えることを意味します。これは度を超えた賞やむやみな罰は「適正さを欠いている」ため不要と言っています。

賞や罰が無ければ、安心して自由にやりたいことをやれます。でも言い換えると、自分の価値が曖昧となり“やりたい放題”へ崩れてしまう恐れも大いにあります。信賞必罰は苦しみを与える一方で、自分の判断や行動を実感できるという側面もあると言えます。

過剰すぎるのは問題ですが、賞と罰があるからこそ自分の存在意義を感じられるとも言えるのです。

Q.あなたは「信賞必罰」・「僭賞濫刑」どちら派ですか? その理由は何でしょう。


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