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災害研究者が新型コロナウィルス感染症について考えてみた(8)経済活動と感染症対策の両立は可能か

1.再度の流行拡大と経済危機

2020年、8月。長い梅雨が明けて夏の日差しが眩しい季節になった。本来なら東京オリンピックでのアスリートの競演が華やかな頃のはずが、今年の夏休みの過ごし方は予想されたものとは様変わりとなった。

新型コロナウィルス感染症の流行再拡大を受けて、特に大きな影響を受けている観光産業の振興を図るべく、政府はGo to travelキャンペーンを実施する意思を見せている。成立にあたって、時期を前倒しにしたこともあり事務局のバタつきは相当なもののようだが、それ以上に、市民からは現時点での同キャンペーン実施に対して厳しい声が上がりつつある。政府もそうした声は認識しているようだが、結果的には感染阻止よりも経済対策を優先する構えのようだ。

まるで映画「ジョーズ」そのままの展開だが(詳細は前回記事を参照)、コロナ禍が継続する中で経済的影響も深刻化しており、今後は経済活動に軸足を置いた議論が増えてくると考えられる。

2.コロナ禍における経済活動のあり方に関する議論

コロナ禍におけるマクロ経済に関する詳細な分析はシンクタンク等に譲るとして、(参考:アジア太平洋研究所「Kansai Economic Insight Monthly」)ここでは、経済活動と感染症対策の両立について考えてみたい。

2-1. 経済活動の再開を求める声

ロックダウンや休業要請といった時期を経て、感染症対策を優先すべきというグループも未だ存在感があるものの、経済活動の再開を求める声は大きくなってきている。経済活動の再開を肯定するグループは大きく分けると、(1)感染症対策よりも平時の経済活動を優先すべきと主張するグループ(以下、積極派)と、(2)ソーシャル・ディスタンスの確保や三密環境の回避等の感染症対策を前提として経済活動を再開すべきというグループ(以下、慎重派)が存在するように思われる。

このうち、(1)積極派は、感染症対策が無用であるとはしないものの、新型コロナウィルスの致死率が他の疾患に比して特段高いわけではない等の理由から、経済活動の平常化を図るべきであると訴えている。

しかし、感染症対策がままならない中で経済活動の平常化を図っても、経済活動の再生が進むとは限らない。その理由として、第一に人々の行動変容が挙げられる。新型コロナウィルスによる致死率が十分に高くないからと言って、人々の行動が影響を受けないとは限らない。

同様の場面は映画「ジョーズ」でも見られる。同作において、巨大なホオジロザメによる犠牲者数は実は5人程度と少ない。積極派と同じ論法を以てすれば、いかにホオジロザメが凶暴でも一匹の鮫がアミティ島の住人や観光客を何百人も食い尽くすことは不可能だろうから、予定通り海開きをスタートすべきということになる。

実際に、劇中では鮫問題を放置したまま海開きが行われることになるが、いざ海開きの日を迎えた際に、誰もビーチに入って行こうとしない様子を懸念した市長が、知人に最初の一人になるよう促すというシーンがある。しかし、その後、再び鮫が海に現れて人々はパニックに陥る。結局、経済活動の維持を主張してきた市長は鮫退治を行う方針に転換する。

積極派はマクロレベルでの致死率や重症患者数を取り上げて社会的な安全を訴えるが、確率が低いからといって自分がウィルスに罹患しない保証はないし、自身が無症状の感染源となる可能性も考慮すれば、誰もが「最初にビーチに入る人間」にはなりたくないと考えるだろう。まして、現状、感染は再び拡大している。さらに、同ウィルスのワクチンは存在せず、場合によっては後遺症が残るとさえ言われる。政府が経済活動の平常化を訴えたところで、こうした状況下では人々の行動がコロナ以前の状態に戻るとは思えない。

第二に、海外経済も平常化には程遠い現状を考慮すれば、経済活動の再生は容易ではないように思われる。国内だけ経済活動の平常化を推進したところで、海外からの観光客が以前のように増加するとは考えにくい。また、日本の主要な輸出先である中国を含むアジア諸国、また米国や欧州といった国々も、経済活動の低迷が深刻化している。輸出産業や海外部門を抱える企業はその戦略を再考せざるを得ないだろう。このように海外需要が落ち込む中では、観光業に限らず製造業やサービス産業においても、経済活動の平常化が必ずしもその再生につながるとは思えない。

2-2. 「感染症対策と経済活動の両立」という政府方針

日本政府の考え方は(2)慎重派に近いと思われるが、これまでの政策対応を見る限り、一連の対応により経済活動の再生が進むとは考えにくい。

第一に、政府の説明では政策対応の有効性が十分に明らかとなっていない。例えば、政府は感染症対策の一環として、飲食店を始めとする特定の産業やセクションに対する行動自粛や休業要請を検討しているが、こうした政策対応が感染症対策においてなぜ有効な措置と言えるのか、その根拠に関する説明が十分でない。

クラスターの発生が見られた(接待を伴うものも含めた)飲食店等のセクションへの事後的なアプローチでは感染拡大に対して後手を踏んでしまうため、様々な産業、地域、空間、場面におけるリスクをあらかじめ比較検討した上で、先手の対応を行う必要があるのではないか。例えば、満員電車と比較して飲食店のリスクが明確に高いと言えるのだろうか。なお、プロアクティブな感染症対策に向けて欠かせないとされるPCR検査の拡充は、他国より遥かに遅れた状況が続いている。

経済対策においても、感染拡大が起きつつある中でGo To Travelキャンペーンを進める際に、観光産業が苦境に喘いでいることを理由として挙げているが、同様に厳しい状況にある映画館や文化・芸術活動に関わる企業はどうなるのか。経済規模が大きな産業を支援する必要があるというならば製造業はどうなるのか。経済規模よりも生産性や成長性を重視すべきではないのか。どのような全体方針の元に経済活動の再生を図るのか、そうした方針と整合的な政策手段を講じているのか、十分に説明されているとは言えない。

第二に、政府の対応には一貫して戦略的な視点が見当たらず、一連の政策対応が目指す目標が見えてこない。政府はこれまで布マスクの追加提供、特定の産業に対する休業要請の検討、PCR検査を含む検査体制の拡充、ワクチンの開発や入手に向けた資金提供、Go to Travelを含む景気浮揚策等を次々と発表してきているが、これらは全て戦術レベルの対応に過ぎない。むしろ政府には新型コロナウィルスの感染収束に向けた、あるいはコロナ禍における経済活動の推進に向けた戦略の全体像を示すことが求められる。戦略を抜きにして政府が戦術的な対応を断片的に発信すれば、市民や企業はかえって将来に対する不確実性を高めてしまい、経済活動が停滞することにもなりかねない。Go to Travelへの批判はその象徴的な事例と言える。

感染症対策について言えば、どのようなにして感染症を収束させていくのか、その具体的な道筋を示す必要がある。その際、計画通りに感染症を抑止することができるとは限らないため、政府は様々なリスク・シナリオを想定した上で、それぞれのパターンで用いられる政策手段の選択理由やその有効性を説明しなくてはならない。場合によっては再びロックダウンや休業要請といったよりレベルの高い対応も必要となるだろう。

経済活動の再生を図るというのであれば、コロナ禍での経済発展に向けた政策の全体像を示す必要がある。Go to Travel キャンペーンがその一環だという意見もあるかもしれないが、求められているのは短期的な景気対策ではなく、コロナ禍が続くと想定した上で長期的に日本経済の発展を図るための総合戦略である。なお、Go to Travelについて付け加えるならば、過去の経験から、エコカー減税や消費増税によって生じる駆け込み需要の後には景気の低迷が待っていることが分かっている。日本経済の発展という観点から言えば、同キャンペーンが有効な政策対応であるかは疑問が残る。

このような総合戦略の採択において、誰がどのような議論の上にそうした戦略を採用する決定を行ったのか、専門家のコメントや分科会における議論の内容と合わせて市民に周知することは重要である。こうした情報を市場に提供することで、市民や企業の判断の質を向上させることができる。また、事態の推移によっては事前の想定にはないリスク・シナリオや政策対応を採用せざるを得ない場合も考えられるが、政策決定の背景を詳細に伝えておけば、想定外の政策変更に対する市民の理解を得やすいという利点もある。

第三に、コロナ対策の全体戦略における方向性に関して、政府が明確なメッセージを伝えることが重要である。現状、政府は経済活動と感染症対策の両立を主張しているが、経済活動を優先するのか、感染症対策を重視するのか不明瞭である。結果、二兎を追うものは一兎も追えないことにもなりかねない。

政府が感染症対策を優先するのであれば、以前にそうしたように、ロックダウンや休業要請、Stay homeの呼びかけといった感染症対策に合わせて、休業補償や休暇の奨励、失業給付、テレワークの推進に向けた補助金等といった防疫投資に関わる政策を前面に出す必要がある。こうした対応は経済活動への影響が大きいとはいえ、以前に緊急事態宣言を発した際には新規感染者数の大幅な削減に成功しており、再びこうした選択肢を取り得る余地が無い訳ではない。

他方、経済対策を優先するというのであれば、基本的に経済活動の自由は制限せずに、特定の地域、属性、グループに対してのみ、有効性が立証されている、あるいは有効である蓋然性が高いと判断される対策を行う方法が取り得る。実際、感染拡大の初期においては、クラスター対策による感染のコントロールを行いながら社会は平常運転を維持した。現在では、PCR検査の拡大により陽性者を積極的に発見・隔離することで、経済活動の平常化を促進するべきという声も少なくない。(感染制御に向けてPCR検査の拡大には慎重な意見もあるようだが、推進派の意見の方が説得力があるように思える。)

状況証拠から言えば、政府は感染症対策を優先しているようには見えない。他方で、経済活動を優先するという明確なメッセージもない。しかし、緊急事態宣言を解除した上で「感染症対策と経済活動の両立」を謳うことは、事実上、経済活動を優先するというメッセージに他ならない。政府は玉虫色のメッセージを出すことで巧妙に政治的責任を回避しようとしているのかもしれないが、大きな方向性が示されなければ、経済活動と感染症対策のいずれを優先すべきかを巡って、市民の間で無用な対立を生むことにもなりかねない。自粛警察や県外からの移動者に対する嫌悪感はこうした分断を端的に表しているのではないか。なお、これらの動きは他社への差別を助長しかねないだけでなく、感染が徐々に収束していった際に人々が日常へと回帰しようとするムードに水を差すことにも繋がる可能性がある。

3.コロナ禍における経済活動の再生に向けて

感染症管理サイクルを考慮すれば、経済活動とウィルス対策の両立は難しい。感染が収束しない内には、経済活動の復興のステージに入ることができないからである。短期的には感染収束を優先せざるを得ないと考えられる。ある意味で感染症対策は経済対策と言えなくもない。より早く果断な対応を行ったほうが、短期的には経済活動が大きな影響を受けるとしても、長期的にはその影響は小さくなる可能性があるからである。

3-1.短期的な経済政策について

とはいえ、感染症対策を優先すれば生業や生活の糧を失う人たちが出てくることは避けられない。短期の政策対応においては、こうした人々の生活保障や生活再建、起業や労働市場への再チャレンジに向けたアドホックな政策支援も必要だろう。経済財政諮問会議は「骨太の方針」において中小企業対策の強化等を打ち出しているが、これを機に既存の制度の変更も検討する必要があるだろう。その際、失業給付の条件緩和や給付金の拡充、また先進国並みの傷病休暇の創設も重要なテーマだが、労働市場の流動性を高める工夫や教育投資の拡充が欠かせない。

これまで日本的雇用慣行について語る際には、入職時に学卒者に対して公平な競争環境を提供できることや、長期的な企業内選抜の過程を経ることで適切な昇進人事を行うことができるといったメリットが強調されてきた。しかし、就職氷河期世代を始めとする不景気に入職した世代にとっては、その後もより良い転職機会が限られることで長期的にキャリアにおける負の影響が固着してしまうことが知られている。今後、コロナ禍によって就職の機会や生業を失う人々も同様の影響を受ける可能性がある。

折しも、経団連でもジョブ型雇用の推進を求める声が高まっているが、職務型雇用への全面的な切り替えを推進しないまでも、コロナ禍を機に労働契約の締結やその変更において、職務記述を明確にした労働契約書の作成を求めるような制度変更を検討しても良いのではないか。これはフリーランスの働き方の普及に向けて必要な措置であろうし、新卒・中途採用を問わず、求人にあたって必要な技能要件とその待遇が明確になれば労働市場の流動化も進むだろう。高等教育にとっても求められる技能要件が明確に慣れば、教育コンテンツの作成を進めることができるため、リカレント教育の拡充に向けた足がかりとなる。コロナ禍の中で労働市場に出ていかなければならない学生にとっても、必要な資格やスキルが明確になること学習の動機付けになる可能性がある。

その上で、労働市場の流動化に向けて中途採用市場の拡大を促すために、民間企業に先駆けて中央省庁の行政職において要職人事を積極的に外部に開放してはどうだろうか。昨今、若手の国家公務員の離職願望が高まっているだけでなく、一部からは行政において専門家が育っていないという意見も聞かれる。厚生労働省を始めとする省庁で技官という職種があることを考えれば、官僚に博士号の取得を促すよりもむしろ、博士号取得者に対して国家公務員試験を免除した上で管理職やキャリアへの中途採用の道を開くことも一案である。日本では博士号取得者の民間活用が進んでいないことが長年問題となってきたが、こうした問題の解決に先鞭をつけることにもなる。

3-2.長期的な経済対策について

上で挙げたような短期的な対策とは別に、コロナ禍が継続する中でどのように日本経済の発展させていくのか、長期的な経済対策が必要となる。政府が開催しているコロナ禍における長期戦略を検討する主要な会議の中でも、経済財政諮問会議ではデジタル・ガバメント構想、国家戦略特別区域諮問会議ではスーパーシティ構想が示されている他、未来投資会議には分科会議からも委員が参加することが決まっており、これまで議論してきた成長戦略をベースにWithコロナ時代に向けた将来構想について検討することになっている。

こうした課題設定は災害復興における経済復興の例に近い。災害復興において旧来の産業構造の復旧を図っても、災害後の社会的状況に適応した経済構造を獲得することができるとは限らないため、経済的復興につながる事例は多くない。そのため、復興後に新しい都市の形成に向けた総合政策を立案することが求められる。

今後は、人口減少や高齢化といった従来的な課題に加えて、産業構造の転換だけでなくコロナ禍に適応した社会の構築に向けて、産業政策や貿易政策の見直し、科学技術政策や教育改革の方針、環境政策や都市計画の方向性、都市計画の修正等、幅広い分野にわたる政策的議論が必要となる。

問題は、こうした将来構想が地域の実態に合ったものとなっているかである。コロナ禍による被害の程度は地域ごとに異なるとはいえ、その影響は全国に及んでいる。地域ごとに社会の将来像や経済活動の実態が異なることを考えれば、全国一律に経済的復興政策を検討するよりも、地方自治体毎に復興計画を立案してもらう方が実態に即したものを作ることができる上に、市民からの支持も得やすいのではないか。折しも、新型インフルエンザ等対策特別措置法においては、地方行政の権限が十分でないという批判が多く寄せられた。コロナ禍後の地域構想作りに向けて権限や財源の地方分権を推進することも選択肢に加えてはどうだろうか。

もう一つの問題は、政府における政策形成過程が開かれたものとなっているかということである。「新しい日常」「Withコロナ」「ニューノーマル」といった言葉が新聞紙面を賑わしているということは、そうした社会に関する具体的なイメージはまだ定まっていないとも言える。コロナ禍と共生する社会のあり方を検討する際には、その議論の内容が広く公開されつつ、様々な批判を受けて改善されていくことが重要である。政府にはコロナ対策における戦略の全体像について語るだけでなく、日本社会が目指す将来像に関する議論も合わせて積極的に発信していくことが求められる。その際、災害管理サイクルに基づいて時間軸と政策対応の全体像を整理することは、政策の可視化の上で有効だと考えられる。

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