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初開催となった下田ウイスキーフェスと坂本龍馬、吉田松陰の像

 新潟から帰ってミーティング、タイアップ取材、WPの採点と怒涛のスケジュールだったが、18日の土曜から再び伊豆の下田へ行くことに。下田で初めて開かれる「下田ウイスキーフェス」で、3回の講演をやることになっていたからだ。当初は2日間開かれるマルシェに出店も考えたが、ウイ文研のスタッフ不足で、泣く泣く断念。10月の横浜のマルシェでつくったハイボール用のウイスキー2種を、私の講演の時に、無料で飲んでもらうことにした。

 18日の土曜の午後3時半すぎに下田に着き、そのままフェスの会場へ。サスケハナ号の私のセミナールーム(2F)を下見する予定だったが、この日は強風のため、船の出航そのものが中止。停泊中の船も大きく揺れていたため、下見も中止となってしまった。とにかくすごい風で、体感温度は2~3度。これでは新潟・東京より寒いということで、早めにホテルにチェックイン。ホテルは目の前の「黒船ホテル」だったが、とにかく館内はペリーと黒船一色…。

 夕食はホテルではなく町中の寿司屋に行き、そこで地元の魚を刺身、握りでいただく。飲み物も地元静岡産の日本酒3種をいただくことに。先週から山形、新潟とその土地土地で地酒を飲んでいて、都合11~12種類飲んでいることになる。新潟では私の地元の日本酒も2種程飲んだ。山形は遊佐の酒だが、それぞれに味に違いがあり、それはそれで面白かった。もっとも、これではウイスキー文化研究所ではなく、日本酒文化研究所であり、さらにその前は石垣と那覇で泡盛ばかり飲んでいたので、泡盛文化研究所でもある。

 19日の朝は5時に起きて、大浴場で朝風呂を。露天風呂も入ったが、東の空に驚くほど明るい明けの明星が輝いている。宵の明星は見ることがあっても、明けの明星は久しぶりに見た。金星の最大の光度はマイナス4.3等星くらいだが、それくらいあったのかもしれない。下田はとにかく空も海も澄みわたっている。

 朝食後は前回の9月に来た時に撮り忘れていた坂本龍馬と吉田松陰の像を撮りに行く。龍馬像はホテルの目の前の海岸にあったが、松陰像はそこから歩いて10分程。身をかくしていた弁天島の先端に、写真で知っていた、あのポーズで松陰が立っている。横にはもちろん弟子で、松陰と運命を共にした金子重輔の像も。1854年4月24日、松陰は西欧の文化を知るためにアメリカ行きを決意。下田でペリーの乗るポーハタン号に乗船し、アメリカ行きを直訴した。しかし松陰の意にはそえぬということになり、あえなく断念。のちに松陰は江戸の獄舎に送られることとなった。

それはともかく、坂本龍馬も吉田松蔭も、私にとっては大好きな幕末のヒーローで、青春時代に夢中になって司馬遼太郎さんの『龍馬がゆく』や『世に棲む日日』を読んでいたことを懐かしく思い出す。ということで、一度ホテルにもどり、10時にサスケハナ号の乗船場所へ。とりあえず下田湾遊覧のルートを知るため、2回ほど実際に湾内を回り、その間11時からの講演の準備。

講演は11時と12時と1時の計3回。それぞれ45分ずつだったが、入れ替えかがあり、次の回までの時間がほとんどない。その間、ずっと船の上で立ちっぱなし、喋りっぱなしということになった。都合、湾内クルーズには7回乗ったことになる。前日ほどではないが、湾内にはうねりが入り、揺れも大きかった。その揺れる船上で、立って話をするのは私にとっても未体験。途中で、はやくも筋肉痛になってしまった…。

船上のイベントというと、琵琶湖クルーズをすぐに連想するが、琵琶湖は波穏やかで、しかも船も大きいからまったく揺れを感じたことがない。当初、下田の船を軽く考えていたが、実際やってみると琵琶湖とは大違いであることが分かった。さて、来年はどうなることやら。

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